【 生物学魔談 】魔の寄生・ハリガネムシ(1)

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以下は実話である。
筆者の友人で小学校の先生をしていた女性がいる。5年生のクラス担任をしていたときの話だ。夏休みが終わり、クラスでは自由課題の発表が行われていた。その小学校では、全校生徒の「夏休みの自由課題」作品に対し、校長賞、教頭賞など5作品を表彰していた。彼女のクラスにもこうした入賞を狙った意欲的な作品があり、彼女はそれを楽しみにしていた。児童たちは次々に作品を発表していったが、中でも目を引いてすごい観察記録があった。それは自宅近所で捕まえたとかのカマキリを飼育観察した日誌だった。

発表したのはクラスでも目立たない背の低い少年だったが、その観察日誌はすばらしかった。絵が得意な子ではなかったが、よほどカマキリが好きらしく、ハエや蛾を捕えてムシャムシャと食べる様子は迫力満点に描かれていた。特に彼女が感心したのは「捕えた虫のどこを最初にかじるか」という観察で、少年の説によれば、ハエならココ、蛾ならココ、という具合にカマキリ的に決まりがあるらしく、それを分類して描いていた。

じつは彼女は虫が大の苦手だった。こればかりは教師であろうが担任であろうが、苦手なものはもうどうしようもない。なのでカマキリの捕食観察など、本音では見るのもイヤだった。背筋がゾッとするほどイヤだったのだ。しかし彼女は担任として、少年の表情に注目した。それは「この子にこんな一面があるのか」と驚くほどに生き生きと輝いた目だった。将来は偉大な昆虫学者になるのかもしれない。彼女はその作品を大いに褒めた。すると教室の後ろに立って発表を見ていた教頭先生が声を発した。
「大きなカマキリだねぇ。学校に持って来ることはできますか?」
少年は喜んで「はいっ」と答えた。彼女は「えっ?」と思ったが、反対する理由もない。
「……この教室で飼えとでも言うの?」と教頭先生の発言に困惑したが、黙っていた。

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翌日、少年は紙箱に入れてカマキリを持参した。生徒たちは喜んでいたが、紙箱では観察できない。とりあえずどうしたらいいか、彼女は教頭先生に相談に行った。ところが朝からその姿を見ないと思っていたら、今日は出張だという。「自分で言い出しといて、なんなの?」と怒りつつ理科室に行って、大きめのビーカーを借りてきた。「ちょっと狭いかも」と思いつつ、水道水で軽く洗い、教室に持って行った。少年に命じてカマキリをそれに入れ、上に本を乗せた。ビーカーには注ぎ口があり、そこから空気を取り込むことはできる。そこからカマキリが逃げ出しはしないかという心配もあったが、実際に入れてみると、足がツルツルと滑るらしく、その心配はなさそうだった。彼女は少年に命じてビーカーを窓際に置いた。教卓に置くのはどうしてもイヤだった。

昼食時。彼女は廊下で筆者と立ち話をしていた。そう、じつは筆者はその時、現場にいたのだ。教員をしていたわけではない。その当時、筆者は大学生で、ある調査のために小学校に来ていた。このあたり、少々ワケありで説明が長くなるし本題とは関係ないので割愛するが、少しだけ説明すると、出席日数が足りない講義の教授と交渉し、その教授の論文に使うリサーチのために(非公式に)小学校を訪れていたのだ。なので内心は不満タラタラで、「ちっと出席が足りない程度でこんな面倒くさいリサーチを押しつけやがって。いまに見ろあのクソ教授め」といった気分だった。……しかしまあ、それはともかく。

廊下で立ち話をしていると、教室内で悲鳴が上がった。「わぁっ」とか「キャーッ」という児童の声が響いて来た。事情を知らない筆者は驚いたが、彼女は「やれやれ」と言った表情で笑った。「……きっとカマキリが逃げたのよ」。そして早口で言った。
「わたし、虫がダメなの。捕まえてくれる?」
筆者は笑った。
「お安い御用です」

そこで彼女に続いて教室に入った。
カマキリは逃げてはいなかった。ビーカーの中でもがいていたが、その尻から信じがたいほど長い、まさに針金としか言いようのない異様なものがヌルーッと出て来た。児童たちはみな怖がり、教室の反対側まで逃げた。廊下に出て、そのままどこかへ走り去ってしまう子もいた。まさに教室内はパニックだった。ひとりの少年だけが教室の真ん中に立ち、カマキリとクラスメイトたちを交互に見ていた。顔面蒼白だった。目の前の彼女の背中がグラッと揺らいだ。あっと両手で肩を支え、足で児童の椅子をひっぱりだしてその場に座らせた。

筆者はすでにその正体を知っていた。しかし話には聞いていたものの、出て来るところを実際に見るのは初めてだった。言いようのない嫌悪感と恐怖感が交互に襲って来るようなおぞましい光景だったが、しかし目を離すことができなかった。黄緑色の大きなカマキリだったが、明らかに自分の意思で出て来た針金の長さと来たら、「いったいいつまで続くのだろう」と思うほどに長い。カマキリの全長の4倍ほどが出て来たが、まだ続いている。筆者は彼女の肩に軽く手を置いていたが、その体がグラリと傾いた。見ると完全に気を失っていた。

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「君たちっ、怖がることはない」
筆者は児童たちに声をかけた。
「これはハリガネムシといって……」
「もういいっ!」
思いもかけない怒声に驚いた。その方向を見ると、ひとりの男性教員が出入口に立っていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・…( つづく )