【 生物学魔談 】魔の寄生・ロイコクロリディウム(3)

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タバサはビンを両手で持って庭に出た。フタをとって慎重に傾け、カタツムリを葉っぱの上に誘導しようとした。
「そこじゃだめ!」とママは言った。そんなところにカタツムリを出したら、たちまち鳥に見つかるだろう。カラスがやってきてタバサの目の前でパクリとやってしまうかもしれない。そんなことになったら、タバサのショックは計り知れない。
「どうして?」
「鳥に見つかるからよ。草の下とか、そういうところがいいの」

タバサはうなずき、地面の上にビンを持ってきた。カタツムリはビンの中でゆっくりと移動していたが、なにしろカタツムリなのでなかなか外に出ない。タバサはビンを横にして転がした。その脇にしゃがんで、カタツムリが外に出てくるのをじっと待った。ママはしばらくその様子を見ていたが、ふと船酔いに近い不快感を感じた。周囲の景色が不意にグラッと傾くような不快感だ。気持ちの悪いものを見続けたからだろう。
「カタツムリが外に出ても、ビンにさわっちゃだめよ」
タバサはうなずいた。
「……後でママが洗うから、そのままにしておいてね」

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ママは台所に戻った。ビンはジャムが入っていたもので、いずれなにかに使おうと思って棚に入れておいたものだった。でもこうなってはもう、見るのもイヤだ。捨てようと思った。
それよりも彼女がそのとき一番気にしていたのは「ビンが食卓の上に置いてあった」という一件だった。幸いというか食卓にはテーブルクロスがかかっている。一刻も早くそのテーブルクロスを食卓からはぎとって洗濯機に放り込み、洗剤をたっぷりと使って洗ってしまいたい。そうでもしないことには、そのテーブルクロスさえ嫌いになってしまいそうだ。

洗濯機が動き始めた音を聞き、食卓に戻った。代わりのテーブルクロスはどれにしようかと考えつつ、深い疲労感を感じた。庭を見ると、タバサは相変わらず同じ姿勢でしゃがみこんだままビンを見ている。ママは椅子を出して座りこんだ。船酔いのような不快感がまだ残っている。組んだ両腕を食卓に乗せ顔をうずめると、そのまま引き込まれるように眠ってしまった。

ハッと意識を取り戻して周囲を眺めると、室内は薄暗く、外はオレンジ色に染まっていた。壁の時計を見て驚いた。一瞬の居眠りのようにしか感じなかったが、なんと2時間ほど眠ってしまったようだ。
隣の居間でアニメの音声がしている。見に行くまでもなく、タバサがいつもかかさず見ているアニメだと即座にわかった。アメリカアニメ特有の軽薄な音楽と効果音に微妙にイラッとしたが、耐えた。洗濯機の中身を乾燥機に入れ、夕食の支度を始めなければならない。
めまいを恐れつつ慎重に立ち上がった。なんとか大丈夫だった。居間をチラッと覗いた。タバサがいつものようにテディベアを抱えながらアニメを見ている姿を確認し、洗濯機に向かった。もうビンのことはすっかり頭から消えていた。

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タバサと二人で食事をすることには、もうすっかり慣れてしまった感がある。しかしそれでも時々「……まるで母子家庭ね」と出張ばかりの夫をうらめしく思うこともある。「こんな時にあの人が脇にいてくれたら……」と切に思うことが時々ある。
ママはなるべく明るい話題にもっていこうとして何度かタバサに話しかけたのだが、タバサの反応はいたって薄い。相変わらずあのカタツムリのことを考えているのだろう。表情を見ればなんとなくわかる。「……やれやれ」といった気分にならざるをえない。

「ねぇ、ママ」とタバサ。ほうら来た。内心で大きなため息をついた。
「食事時なんだから、そんな話はやめなさい」とは5歳の娘には言えない。そんなことを言ったらタバサの大きな目はたちまち涙でいっぱいになり、すぐに溢れ出すだろう。食事は最悪のムードになるだろう。ママは勤めて明るい声を出した。
「なあに?」
「宇宙人カタツムリなんだけど……」
やはり。
「それがどうかしたの?」
「病気じゃないと思うの。宇宙人が目の中に入ってると思うの」

ママは衝撃のあまり、絶句した。

・・・・・・・・・・・・・・・・…( つづく )

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