魔の絵(2)

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一番気になっていた点をずばり聞くことにした。
「娘さんは家庭教師を望んでいるのですか?」
「いいえ」
一瞬の間をおいて父親がためらいがちに答え、私は「やはり」と思った。両親としては、娘と外の世界との接点をなんとかして見つけ出したいのだろう。その気持ちは痛いほどよくわかる。しかしこうした場合の少女の心理としては、なにかを提案されればされるほどに拒絶の気分が強くなってゆくという逆効果が、この人たちにはわからないのだろうか。

「つまりあなたがたは、本人が望んでもいないのに、彼女の部屋に家庭教師を送りこんだ。そういうことですね」
やや冷笑的な言い方になってしまったかもしれない。私の悪い癖がつい出てしまった。案の定というか、母親は強い視線で私を睨み、その後は下を向いてしまった。「……やはりだめ。この人もあれこれと言い立てて、結局は逃げ腰」という彼女の失望落胆がありありとわかった。いままでに幾度となくこういう状況が繰り返されたのだろう。「……万策尽きた心情を察しもせず、あんな言い方はないだろ?」と前言を恥じた。「……この人たちは困り果てている。お前は逃げるのか?」と自責の念が出てきたのはこのときだった。

「夕食の時にそれとなく家庭教師の件は伝えているのですが……」と父親。
「なるほど。夕食の時は部屋から出てくるのですね」
「そうです」
「朝とかお昼は?」
「部屋で菓子パンを食べたり、なにも食べなかったりしているようです」
「そのパンは自分で買ってくるのですか?」
「いえ、夕食のときに希望のパンとかスイーツを言ってくるのです。会社からの帰りにコンビニに寄って……」
「もういいではないですか、そんな話!」

母親が突然に会話をさえぎった。
驚いたが、その一方で「ああやはり先程の物言いがまずかったか」と改めて痛感した。
「この先生は引き受けてくださるつもりはないようです。これ以上の話は無駄かと」
「待ってください!」
さっさと席を立とうとする母親。さすがにあわてた。彼女の声はかすかに震えていた。涙をこらえて下を向いていたのだ。私は心の奥深いところをグサリと刺された気分だった。痛みを感じた心が叫んだ。「引き受けてやれよ!……お前には失うものはなにもないだろ!」

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「まだ断ろうと決めたわけではありません。引き受けてもいいと思ってます。ただし……ひとつ、条件があります」
「条件?……うかがいましょう」
父親は母親を見た。彼女はハンドバッグを引き寄せ、すでに膝立ち状態になっていたが、再び正座した。私は(これで2回目だったが)正座を崩すように勧め、「じつはコーヒーが飲みたくなりまして……」と言いわけして立ち上がった。彼らにはティーバッグの紅茶を出していたのだが、私はその席でなにも飲んでいなかった。じつは紅茶を出した時に気がついたのだが、ティーバッグのストックが2個しかなかったのだ。もうひとつの理由は少しでも時間を稼いで「条件」を吟味するためであり、さらに言えば、私がドアを閉めて数分間でも台所に行けば、母親が涙をふき気分を取り戻せるかもしれないという配慮もあった。

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「一週間ください。そのあいだに絵を描きます」と私は言った。「その絵を彼女に見せてくれますか?」

私の考えはこうだった。両親が決めた家庭教師だとわかっていても、本人にとっては、私は会ったこともない見ず知らずの男だ。今までの女性教師よりも、さらに拒絶感は強いにちがいない。その場のなりゆきで、どうなることやら、わかったものではない。下手をすればドアを開けた瞬間に、嫌悪感をあらわにぶつけられて目の前でドアは閉まるかもしれない。
しかし彼女と私とのあいだには唯一の共通点がある。それは「絵を描く人間」だということだ。いままでの家庭教師は自分の絵を彼女に見せたのかどうか知らないが、社会との接点を遮断してしまった彼女の日常なり趣味なりを聞いた上で浮かんできたビジュアルを絵にすれば、それを彼女が見れば、あるいはそこからなにか突破口が生まれるかもしれない。

「その絵を彼女に見せたうえで、会ってもいいというのなら、会いに行きましょう」

・・・・・・・・・・・・・・・・…( つづく )

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