【 魔の趣味-2 】

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「辰星落々」(シンセイラクラク)という言葉がある。「辰星」とは夜明けの空に残っている星のことを言う。空が明るくなるにつれて、それらの星は次々に消えてゆく。同じように、人も年をとると、同じ年頃の友人知人が周囲から次々に消えてゆく。ちょっとせつない四文字だが、その比喩がなんとも美しく、私は好きだ。

いま私は62歳だが、60歳を越えたあたりから「辰星落々」の心境を味わうことが多くなった。友人知人の冥福を祈って杯をあげることが、にわかに多くなった。遠く離れた街で旅立ってしまった人がほとんどであり、葬式に行くこともできなかった。
しかし正直なところ葬式に行けなかったことを残念無念に思ったことはほとんどない。我ながら水くさい男だとは思うが、葬式を区切りにきっぱりと「彼は逝った」「彼女は逝った」と納得することが、どうしてもできない。葬式自体を否定するつもりはさらさらないのだが、自分の中の混乱と修正、その後の深く静かな悲しみ……そうした一連の経過を、自分なりのペース、自分なりのやり方で時間をかけてやりたいという願いがある。そして私の場合、それには「自分で作り上げた孤独」がどうしても必要だ。まさにそれを必要としているときに、遠い街に出かけていって、多勢の人々が集う中に入ってゆく。苦痛でしかない。あえてそれを覚悟してまで、見送りの場所に行こうとは思わない。

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「じつはときどき、警察になる」と彼は言った。
我々の席は昔の思い出話で大いに盛り上がった後の、小休止的なまったり感に包まれていた。飲み始めてからざっと2時間。双方とも大ジョッキの生を2〜3杯空け、彼は熱燗を、私は冷酒を飲み始めていた。
妙なことを言い出した旧友の顔を見ると、かなり赤い。たぶん私も同じようなものだろう。酔っていることはまちがいなかったが、酒のペースはややスローダウンしても「まだまだいける」という雰囲気は双方ともにあった。

「警察になる?」私は笑った。「……自警団でもやってるのか?」
ニヤッと薄ら笑いを見せた彼は、上着の内ポケットを探った。慎重にボタンを外すような仕草をして名刺入れのような革ケースを出し、私に渡した。なんの説明もなく無言だったが、一瞬の緊張が彼の表情に走ったように感じた。

手にとって見ると、コゲ茶色の革ケースだった。「おや?」と思うほどに重い。開いて見た。紛れもなく警察手帳だ。手帳ではないのでこれをいまだに「警察手帳」と呼ぶのかどうか知らないが、ともかくそのとき「警察手帳!」と知り、その衝撃は大きかった。制服を着て生真面目な表情の彼がこちらを睨みつけている。同じブルーバックとはいえ、運転免許証の写真とは違っていかにも「公僕だ!」と言わんばかりの顔つきだ。一瞬「警察官になったのか?」と本気で思い、次の瞬間に現実に戻った。唖然として彼を見た。笑っている。

「まさか……」
その後は言葉にならなかった。我々の話など誰かが聞いているはずもない喧騒の居酒屋だったが、それでも不意にやってきた緊張感が言葉を吟味していた。
「まあ、聞いてくれ」
自分の趣味でも自慢するように楽しげに(……確かに趣味を語っているのだが)、彼は語った。出張が多い彼には、密かな趣味がある。出張に必要な着替えや書類やノートパソコンが入ったキャリングケース以外に、スーツケースを持っていく。二重に鍵のかかったそのスーツケースには、警官の制服一式が入っている。「ニューナンブM60」(回転式拳銃)のモデルガンさえ入っている。夕食を済ませ、ホテルに戻って一風呂浴び、缶ビールをやる。夜の11時ごろになると、「さて」という感じでいそいそと身支度にかかる。「身支度」というよりは、変装だ。

あきれた。
「ホテルのロビー前を通過するんだろ?」
「ああ」
「フロントがびっくりしないか?」
「まあね。ニヤッと笑って通過する。別になんの問題もない」

……………………………………    【 つづく 】

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