【 脳科学魔談2 】左脳ダウン

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話題が話題なだけに、この画像を御覧になって一瞬ギョッとされたかたがいらしたら、どうか御容赦願いたい。これはもちろん悪趣味の筆者が仕掛けた画像であり、ただのクルミである。カリフォルニア・クルミ協会によれば、クルミは「血管リスク削減」の効果抜群であり、脳卒中予防にも大いに期待できるらしい。「宇宙と一体化」(前回の魔談参照)は死んだらどうせそうなるのだから、脳卒中だけは御勘弁……と思っていらっしゃるかたは、毎日クルミを1個食べると予防になるようだ。

余談はさておき、同じ頭の中にあり、クルミの実のように隣り合った状態で役割分担をして、それぞれ重要な働きをしている右脳と左脳。その個体がより円滑な生命活動を維持してゆくために、右脳と左脳は「それぞれがフル回転してお互いの役割を全うし……」というのが従来のイメージではないだろうか。
もちろんそれはまちがっていない。右脳と左脳の本来あるべき基本姿勢と言える。あたかもそれは「小学校の教科書で説明された典型的夫婦の姿」みたいなものかもしれない。「父は家を出て会社で働き、家に収入をもたらす。母は家にいて家事をこなし、家に生活をもたらす」みたいなイメージかもしれない。しかし現実はそんな単純な構図ではない。実際の夫婦には日常的にもっと複雑な感情が流れる。あるいは対立し、あるいは闘争となり、どちらかが折れて和睦となる。まさに確執の連続。

じつに奇妙な話だが、右脳と左脳もまた研究が進めば進むほど、双方ともにその活動実態が「より人間的であることが解明されてきた」と言えようか。人間内部の器官がそれぞれの役割を主張して確執を起こすなど、じつに滑稽というか、わけがわからない状況ではある。「まあまあ」と言って仲裁に入る「第3の脳」というのはないのであって、もしいたらさぞかし面白いだろうと思うが、現状としての人類の進化ではいない。あるいはその存在は発見されていない。

……いや待て待て。と筆者はここまで書いてきてふと疑問に思うのだが、多重人格者はどうなのだろう。
A、B、Cという3人の多重人格を内包した人がいるとする。AとBが喧嘩をする。するとCが「まあまあ」と仲裁に入るらしいではないか。この際の右脳・左脳はいったいどうなっているのだろう?……話がややこしくなってきた。筆者の左脳が「脱線もいい加減にしろ。さっさとジルの話に戻れ!」と怒っているので、この疑問はひとまず置く。

ともあれ右脳も左脳も状況を見て「やったれ!」と采配をサッと振る勢いで相手を圧倒したり、あるいは「こりゃいかん!」というのでやむなく譲歩したり……そういうスッタモンダを毎日やっているらしい。ストレスのたまる話である。人間は対人関係だけでなく、自分の頭の中でもご苦労千万な駆け引きを毎日やっているのだ。睡眠という休戦協定の時間がないと、とても「やってらんない」だろう。

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さて前回のつづき。ジルの体験談に戻る。
彼女は12月の朝、左脳の血管が破裂した。左脳は「血に溺れた」状況となり、徐々に機能後退。ついにダウンした。その結果、ジルは(1)自分の体の境界がわからなくなった。(2)体という「器」を離れた意識は一気に拡大し、ついに宇宙と一体化した気分となった。……という誠に気分の良い貴重で壮大な体験をすることになった。まるで左脳の束縛やら要求やらから解放された右脳がのびのびと羽を伸ばし、「あー、たまにはウルサイ亭主のいない夜もいいものだわっ!」なんて感じで気分よく酔っぱらって、映画「インターステラー」を観て涙しているような話ではないか。

かの養老孟司氏はジルとの対談でこんな発言をしている。
「左脳はだいたいロクなことをしないとわかっている。今の世の中は左脳中心になっているから、それを少し押さえる方が健康に暮らせる」
……この「左脳」を「亭主」に置き換えたらどうだろう。
「亭主はだいたいロクなことをしないとわかっている。今の世の中は亭主中心になっているから、それを少し押さえる方が健康に暮らせる」
……というわけでじつに納得できるではないか。「亭主元気で留守がいい」ではないが、「左脳元気で留守」というのは設定としては面白いけれども、現実には残念ながらありえない。

ジルの場合も左脳が瀕死になるにつれ、「目の前にある電話さえかけられない」という状況となる。体がうまく動かないということもあるのだが、電話機を見て「はてこれは、なにをする機械だっけ?」という状況になっているのだ。電話機の前で自問自答する彼女の葛藤は「奇跡の脳」冒頭でウンザリするほどその経過が繰り返し語られている。よくそんな状況で「友人に電話をかける」という最終到達まで行けたものだと感心するほどだが、元気な右脳にとっては「現在がすべて」なので、「過去におこった出来事」も、「電話という機械の知識」もどうでもいいらしい。左脳が管理している知識がなくては、電話機を見ても「はてこれは、なにをする機械だっけ?」なのだ。「ロクなことをしないとわかっている」だけで左脳を片付けてよいものではないようである。

………………………   ……………【 つづく 】

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