【 魔の本 】ヴォイニッチ写本(1)

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12月に入りましたねぇ。今年の最後を飾る「12月魔談」をどうするか。大した理由でもないが、やはり「年越し魔談」というのはあまりよろしくないように思う。残る4回の金曜日でピシッと終わる魔談にしたい。そこであれこれ悩んできたが、4回シリーズ「魔の本」で締めくくりたい。

さて「魔の本」。あなたはどんな本をイメージするだろうか。さらに上に「悪」が乗っかる「悪魔の本」だろうか。しかし「魔の本」とはそんな範囲の狭いものではない。……というのも、そもそも「悪魔」と名乗る者はキリスト教世界における「神の敵対者」として登場したのであって、イスラム教徒にとってはそんな者はどうでもいい。したがって「悪魔の本」など怖くもなんともない。悪魔が登場する映画の前宣伝で「全人類震撼!」というテロップを見て笑ったことがある。日常的に宗教に関心が薄い日本人は「おお、そうか」とその悪魔ぶりに大いに期待するかもしれないが、イスラム教徒がそれを観たら「おいおい」だろう。

話を戻そう。「魔の本」とはこのように民族や宗教や国家に関わりなく、真に「全人類震撼の本」でなくてはならない。そんな本があるのか。あるのだ。あるいは「震撼」という言葉がややオーバーに過ぎるとすれば「全人類驚愕の本」でなくてはならない。それが「ヴォイニッチ写本」と呼ばれる奇書である。筆者はそう考えている。この本がどのように驚愕なのか。その話をしたい。

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「ヴォイニッチ写本」のヴォイニッチは人名である。執筆者の名前ではない。発見者の名前である。
ウィルフリッド・ヴォイニッチという古書収集家(アメリカ人)がいた。1912年、ヴォイニッチはヨーロッパで希少本を物色していた時に、じつに奇妙な古文書を発見した。発見当初、彼はその場所を「南ヨーロッパのある古城」と曖昧な説明をしていたが、後にそれはイタリアのフラスカーティにある僧院と判明している。

1912年といえば、ヨーロッパでは第一次世界大戦突入前夜とでも言うべき不穏な時代だ。彼は収集した古文書を持ってアメリカに戻った。
以来106年、2018年の現在でも、この古文書はいまだに全人類を相手にして解読されていない。執筆時期も、執筆者も、挿絵画家も、言語も、内容もわからない。もちろん「我こそは」という研究者は多い。相変わらずの諸説紛糾状態だが、いまだに決定打がない。
(……決定打となるかもしれないと思われる説が昨年、英国の中世文献専門家から出ている。次回に紹介したい)

「そんな馬鹿な」といまあなたは笑ったかもしれない。「106年もたって、未だになにが書いてあるのかさっぱりわからん?……そんな本が本当にあるのか?」と。「だれか頭のいいヤツのイタズラじゃないの?」とか「本当にあるらしいというウワサだけで、じつはどこにもない都市伝説じゃないの?」と疑ったかもしれない。「イタズラ」説については、「そうではない」という言語学者の学説がすでに出ている。次回にそれについて触れたい。「都市伝説」説については、実在の証拠に「HolyBooks.com」というサイトで紹介されている。しかもこのサイトからは、なんと全ページを無料でダウンロードできる。

https://buzzap.jp/news/20160127-voynich-manuscript-dl/

……というわけで「もしかして私なら、この〈魔の本〉から、なにか、とてつもないインスピレーションを受けるかもしれない」とビビッと来た人はダウンロードして、この年末・年始休暇に奇妙な文字列や奇怪な挿絵と向き合ってみたらどうだろうか。

ボリュームもある。なにしろ羊皮紙で240ページ。じつに謎めいた言語、彩色つきの奇怪な植物が満載、銀河や星雲を連想させる円形天体図、複雑で精緻な給水配管らしき異様な装置……とここまで言ってもいまひとつ興味をそそられない男性諸君には、いやらしいうすら笑いと共に耳打ちするようにして「……旦那、ヌード女たちの奇妙な入浴シーンまでありますぜ」とささやけば、即座に見に行く(笑)のではないだろうか。

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さて冗談はさておき(奇妙な入浴シーンはマジホントである)、念のため「写本とはなにか」という点につき少し述べておこうと思う。……というのも、「ヴォイニッチ写本」を語るにあたり、そもそも「写本」というものをある程度は知っていないと、この本の魅力がよくわからないだろうと思うからだ。
簡単に言えば、「写本」とは「すべて手描きで複製された本」と考えてよいと思う。つまり印刷技術が全く使われていない手作りの本ということである。

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映画「薔薇の名前」(1986年/ジャン・ジャック・アノー監督)をご存じだろうか。
こんなシーンが出てくる。北イタリアの奥深い山中。ひっそりとたたずむ古く壮麗な修道院。そのガランとした巨大な内部空間に「写字室」と呼ばれる部屋がある。そこに行くと、多数の作業机がズラッと並んでいる。修道士たちが一心に作業している。彼らは写本しているのだ。つまりすべて手描きで、分厚い本を丸ごと1冊、文字も挿絵も書き写そうとしているのだ。
こうした光景を眺めると、写本が生まれた時代の空気がよくわかる。
「ヴォイニッチ写本」もイタリアの僧院で発見されている。興味を持ったかたにはぜひお勧めしたい「中世の修道院空気満載の逸品映画」である。

……………………………………   【 つづく 】

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