【 魔の本 】ヴォイニッチ写本(2)

「ヴォイニッチ写本」をめぐる謎は多彩だ。まずびっしりと書きこまれた文字が、発見以来100年以上も経過していながら、いまだに判読できない。次に着彩された挿絵が豊富で視覚的にも楽しいのだが、描かれている植物は奇怪で実在せず、天体図らしき図はなにを説明した図なのかよくわからない。さらに繰り返し描かれているヌード女性たちの奇妙な入浴シーン、奇怪な形状の給水配管らしきもの、彼女たちはなにをしているのかさっぱりわからない。じつに多彩にして難解な「謎の星々」が無数にキラキラと明滅している銀河のような本だ。

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たとえばこのページを御覧いただきたい。ここにはヒマワリに似た植物図が描かれ、その図に食い込むようにして説明らしき文字がびっしりと書きこまれている。しかし花に相当する部分はヒマワリに似ているが、葉の形状が異なっている。また根の部分に至っては、じつに奇妙な形状の塊茎?(かいけい/地下茎が肥大化して球状になったもの)らしきものがゴロゴロと描いてある。

植物学者がこの図を見ても首をひねるばかりだ。該当する植物がない。またこの図は写実的なのか、植物の部位を強調して描いている一種の説明図なのか、あるいは全くの空想図なのか、わからない。文字も未解読な上に「この文字列が植物の名前ではないか」と推測できるような文字が見当たらない。……なのでこの異様な植物について説明しているのかどうかさえ、わからない。さらに(1)まず挿絵を描いた後に(2)その絵に食い込ませるようにして文字を書いた、という順番は容易に想像できるのだが、挿絵と文字は同じ人物の手によるものなのかどうかわからない。

……というわけで、おかしいぐらいにこの写本は「わからない」ことだらけだ。結局このページの内容は、植物学者も、言語学者も、暗号解読者も、歴史研究者も、古書研究者もわからない。しかし学者たちや研究者たちは当然ながら立場や実績やプライドがあるので、ただ「わからない」ではコメントにならずメンツが立たない。そこで手持ちの知識なり、情報なり、想像なり、空想力なりを総動員させてああだこうだと自論を展開する。その結果、他の研究者たちからツッコミを入れられて叩かれる。そこがまた面白い。

さらにこの奇書をめぐる人為的な謎まである。もともとあったはずの目次が「なぜかない」というのだ。2017年、タイムズ紙で「ヴォイニッチ写本解読にほぼ成功した」と発表して話題になったニコラス・ギブズ(英国人/中世文献専門家)によれば、「目次が紛失されていたため、これまで解読困難になっていた」と自論を述べている。この興味深い説とツッコミについては次回に紹介したい。

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このようにヴォイニッチ写本は、まさに謎と魅力満載の「魔の本」であると言えよう。
今回、これをとりあげた理由は「まあ4回程度の魔談にちょうどいい」と考えたからではない。むしろ逆で、好きなように語らせておけば4回の「1ヶ月魔談」どころか40回の「10ヶ月魔談」となって誰も読まなくなるだろう。ではなぜ4回なのかというと、とりあえず「こんなけったいな本が本当にあるのですよ。御存知でしたか?」という前口上で4回……とまあ、そんなふうに考えている。

これから先も、この奇書をめぐって「我こそは」と解読成功の名乗りをあげる人々が続々と出てくるだろう。無料ダウンロードも開始されたばかりであり、珍説・奇説もまだまだこれから飛び出してくる可能性がある。そうした経過を見て数ヶ月後あるいは数年後に「魔の本/ヴォイニッチ写本」は第2編、第3編とつないでゆく楽しみがある。筆者も「著者は何者か/なにが書いているのか」という最大の謎につきファンタジー小説的自説を持っている。今回の「魔の本」最終回でそれを披露し、笑いをとって今年のしめくくりとしたい。

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さてヴォイニッチ写本の内容に戻る。
たとえばこんなふうに状況設定して、この奇書を紹介する方法はどうだろう。あなたは海外旅行中で、仕事から解放されのびのびと観光している。とあるヨーロッパの古城をぶらりと訪れ、ガランとして人の気配がほとんどない喫茶店に入った。テーブルについてホットコーヒーをオーダーし、ゴチック建築様式の古い教会のように高い天井を見上げながら「ああのんびりしていい日だ」と思った。
ふとテーブルの上を見るとメニューカード以外に古びた本が1冊、無造作に置いてある。大きさは左右162mm、天地235mm。Aサイズで言えば、A5(148/210mm)よりひとまわり大きい程度だ。

あなたはなにげなく手にとって、その意外な重さに驚く。それもそのはずで、なんと厚みが50mmもある。しかも全ページ羊皮紙で240ページもある本なのだ。
「聖書か、あるいは辞書か?」とあなたは思う。しかしパラパラッとページをめくってみて、そのどちらでもないことに気がつく。びっしりと書きこまれた手書き文字と、たくさんの挿絵。一見してわかるのは文字も挿絵も直接ここに書かれ、また描かれているということだ。
「なんとまあ労作だな。すべて手作りの私製図鑑みたいなものか?」
しかし「植物図鑑か?」と思いつつ数ページをめくってみて、ふと疑問が脳裏を走る。どれもこれも見たことがない植物ばかりなのだ。あなたはテーブル上に置いた愛用の一眼レフにチラッと視線を走らせる。アマチュアとはいえ、これまで海外にまで足を伸ばして数多くの山岳植物を撮影し整理してきたささやかな自負がある……はずなのだが、「これは知らない」「これは見たことがない」さらに「なんだこれは。こんな植物が本当にあるのか?」といった植物図が次々に出てくるではないか。「ああこれは」と知っている植物がただのひとつもない。
「驚いたな」
あなたは複雑な心境でつぶやいた。

……………………………………   【 つづく 】

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