篠田正浩監督とマーティン・スコセッシ監督の二つの「沈黙」

驚いた。見に出かけた名画座が朝の第一回から満席で立ち見が出るほどの盛況なのだ。
高田馬場にある早稲田松竹での篠田正浩版「沈黙」と「海と毒薬」の2本立て上映である。
「君の名は。」の客層とは違い中高年の客ばかり。両方とも遠藤周作原作であるが、恐らく現在公開中のアメリカの監督マーティン・スコセッシの「沈黙ーサイレンスー」を見た客が旧作と比較するために見に来たのではないか。
実は私もそうで、新作を見た数日後足を運んだのだった。

「沈黙 サイレンス」監督:マーティン・スコセッシ 出演:アンドリュー・ガーフィールド アダム・ドライバー他

監督:マーティン・スコセッシ 出演:アンドリュー・ガーフィールド アダム・ドライバー他

日本人原作の小説をまず日本人が映画化した後に、外国の監督が再映画化するケースをほとんど知らない。しかも何と46年ぶりの再映画化だ。

今回はこの2作について述べてみたい。キリスト教が日本に入って来た江戸時代初期の話だが、スペイン人の若い宣教師がふたり、20年前に日本に布教にやってきた自分の師の消息を尋ねるために日本にやって来るが、転向を迫られ拷問などを受けて棄教する。

新聞・雑誌によれば新作の評価はかなり高いが、私はというと、残念ながらいま一つの感想を持たざるを得なかった。確かに時間をかけて本格的に撮られた意欲作だと思うが、後半描かれるテーマが自分に迫って来なかったのだ。
監督は台湾で大掛かりなロケを行い、日本人俳優を使いこの時代を再現し前半は見ごたえがある。幕府側が信者達に厳しい拷問を加え、海岸で信者を十字架にくくりつけ、迫り来る荒波の中に水没させるシーンのすざましさには圧倒される(信者の一人を痩せた体で演じた塚本晋也の根性に感服)。

しかし後半主人公の神父が捕らえられ代官所で拷問を受け転向を迫られるあたりから、段々面白さが失速していく。画面も何だか迫力が無くなっていく。主人公は、牢で信者たちが拷問に苦しんで死んでゆく姿を見て神の存在とは一体何なのだと苦悶する。その、神の存在や「信じること」を問うのがこの映画のテーマなのだろうが、それが自分にはあまり迫って来なかった(まあ、自分が鈍感なだけなのかもしれない)。

監督:篠田正浩 出演:デイヴィド・ランプソン マコ岩松 松橋登 岩下志麻 三田佳子

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では、篠田版はどうか。これが映画としてなかなか素晴らしいのだ。まず、画面の品格が違う。映像に落着いた重厚さが出ている。本物のお寺、奉行所の牢、遊郭など、美術が違う。特に室内の、暗い陰影を持った撮影が素晴らしい(画面の美しさ、重厚さには定評があった大映京都撮影所での撮影)。新作はこの美術が「抽象的」と言うか簡素であり、全体としてやや薄っぺらな印象を与えてしまう。

また、重要な人物として、改宗したり主人公を助けたりまた裏切ったりする農民の信徒キチジローがいるのだが、彼の人間としての弱さ、苦悩の描写が随所に見られる旧作のほうが彼の苦悩がより伝わってくる。井上筑後守という代官もやはり旧作のような沈着でしかも冷酷な感じが出ている人物でなければと思う。

旧作では主人公が牢で見てしまう、武家の若い夫婦の改宗を迫る描写の迫力が凄い。夫を穴を掘って埋めて頭だけを出しそこを馬が駆ける。その怖さと言ったらない。このシーンを新作がカットしたのはかなり大きな過ちではなかろうか。

精神的なテーマも旧作のほうが自分にはよく伝わってきた。140分間面白さが途切れることがなく、観終わると優れた映画を見たという充足感があった。

☆     ☆     ☆     ☆

好きな映画をもう一本、遠藤周作の原作の「深い河」だ。詳述のスペースが無いが、日本人の宗教観、生き方を問うた真摯な映画だ。それぞれの問題を抱える年代も様々な日本人ツアー客がインドを訪れて、生きる意味を考えていく。無宗教の自分にも宗教について何事かを考えさせる力があった。日本映画離れした、ベナレスのガンジス川での撮影が実に見事。ラスト、この河に身を浸す主演の秋吉久美子の演技も光る。