「ゆきゆきて、神軍」の原一男監督の新作「ニッポン国 VS 泉南石綿村」

「ゆきゆきて神軍」監督:原一男 出演:奥崎謙三

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87年に、この年一番の話題作だった「ゆきゆきて、神軍」が公開されてから、もう30年以上も経ってしまった。

殺人を犯したこともある、昭和天皇をパチンコで打ったこともある、神戸で商売を営む奥崎謙三という強烈な男が、戦争中に上官から受けた理不尽な仕打ちを糾弾するため、自分の車で日本を東に西に移動し、上官の家を訪ね対決する様を記録した作品だ。監督は原一男

奥崎謙三は戦時中ニューギニア戦線に従事していて、同じ所属部隊の兵が射殺された事実があり、その真相を探ろうとする。段々と、当時の飢餓状況の中で人肉を食べた事実が浮かび上がってゆく。(質問されて、いかにも庶民というおっちゃんの元上官が、しらっと人肉を食ったことを認め、人肉を皮膚の色で「黒豚、白豚」と呼んだシーンを覚えている)。
奥崎は、まあ、狂信的というか、人の言うことを聞かず、一方的に主張し時に暴力を振う。ガンの手術をしたばかりで病弱な人まで足蹴にしたりするという強烈さだ。

この映画は数年前に再見している。実は、正直に言うと、30年前、この映画との距離の取り方が当時30ちょっとの自分にはよく分からなかった。見直してからはこんな風に考えている。確かに、この人物はスゴイ。日本人が経済成長の中で忘れたかに見える(あるいは思い出したくない)戦争の記憶をずっと忘れることなく、戦争の犠牲になって死んでいった者の死の真相を追求し、そこから戦後の日本の欺瞞を追求すると言う姿勢と執念は、ある意味、見事なものである。
しかし、この映画は「記録映画」としては如何なものだろうかと考える。記録映画が100パーセント純粋な、客観的な映画でなければならないと言うつもりは全くないが、この映画においては、奥崎謙三がカメラを意識して、最近の言葉を使えばカメラによってパフォーマンスしている感が拭えない。つまり、言葉を換えれば、監督及び作り手は、この個性の強い撮影の対象に引きずられてしまっているだけなのだ。奥崎に利用されたとも言えるだろう。どこまで奥崎にやらせるか、恐らく葛藤もあったと思うが、もっと距離を置くべきではないのかと、考える。

「ニッポン国 VS 泉南石綿村」監督:原一男

「ニッポン国 VS 泉南石綿村」監督:原一男

さて、新作「ニッポン国 VS 泉南石綿村」だ。これは面白かった。傑作のドキュメンタリー映画と言ってよい。215分という長尺だが長さを感じさせない。途中で休憩が入るが、後半に至り面白さが増していく。ずっと見ていてもいいと思うほどだ。
大阪府の南西の泉南地区にあった石綿工場に勤務していた人とその遺族が、国を相手に、石綿に危険性があることが分かっていながら放置していたと裁判を起こす。その8年に渡る裁判の過程を記録したものがこの映画である。

まず、不謹慎かもしれぬが、最高裁まで争って判決が出るまでの原告と弁護団・支援者の行動が描かれるが、そのプロセスが映画として十分に面白い。
インタビューに答えた原告たちは、次第に一人また一人と亡くなっていく。症状に苦しむ姿も描かれ、当然、アスベストの被害の深刻さがよく分かる。
しかし、自分にとって最も面白かったのは、登場する人物たちの人間臭さ、豊かな人間味なのだ。ここに「人間」がいるなあと思う。奥崎謙三に比べると出てくる人たちは「普通の人」なのだが、様々な個性と考えを持っていてとても興味深く、国家とぶつかる中で、「劇映画」に負けないようなドラマが展開していくことになる。

人物で最も印象に残るのは、冷静に行動しようとする弁護団と違って、会議でもズケズケ発言し感情をはっきり出す年配男性だ。常に怒っている。こういう人にいてもらいたいと思うと同時に、結構周りは振り回されるだろうなあとも思ってしまう。
出色なのは、判決が出た後、厚労省大臣に会おうと原告グループが厚労省に出かけてゆき、下端の若手の官僚とやり取りするシーン(よく、カメラが入ったと思う)。ユーモアが立ち上がり場内爆笑だった。このやりとりを見ながら、森友問題で、政治家を忖度して人間としての真っ当な行動が取れない官僚の姿が重なってしまった。

この映画では、原監督は対象に引きずられていない。冷静に距離を取って撮影することに成功している。

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