絵本は誰のものか?

小さな出版社の社長をやっている友人が「著者にオレの本なんて言わせない」と言った。
本は著者が一人で作るものではなく、編集者、イラストレーター、デザイナー、印刷・製本会社、その他たくさんの人の力が結集してできるものだという意味だ。

しかしぼくはまさに「オレの本」と思っている。彼の言うことも理解した上で、やはりオレの本としか思えない。
ただし排他的ではない。「オレだけの本」とは思っていない。他にも「オレの本」と思っていい人たちがいる。

絵本の場合なら画家ももちろん「オレの本」と思っていい。いや思うべきだ。「オレの本」だから全身全霊でがんばれるのだ。
作家は単語ひとつのためにひと月苦しむことだってある。うまくいきそうでうまくいかないとき、どうにかして超えなければならない山があるとき、起きている間中頭がいっぱいで、夢にまで出てくる。何度書き直してもよくなってこない、むしろ悪くなっていくように思えることだってある。そうした悪戦苦闘は画家だってまったく同じだろう。
「みんなの本」だったら、自分はその一部を担当しているだけだと思ったら、そこまで全部つぎ込めるか? 無理だと思う。きれいごとだと思う。みんなの本のために技術や時間を提供しているわけではない。自分の分身とも思える「オレの本」に魂を注入しているのだ。

だから著者に「お前の本じゃないんだよ」などと言ってはいけない。著者のパフォーマンスが下がるだけだと思う。

著者の他にも「オレの本」と言っていい人はいるだろう。私見では、担当編集者と出版社社長だ。ここまでは「オレがいなければこの本は世に出ていない」と言っていい決定的に重要な関係者である。

世の中には「品切れ重版未定」というものがある。これは昔は絶版といわれていたもので、ぼくがこの世で一番嫌いなものだ。他の著作家の皆様にとってもそうだろう。要は売り切れてももう重版しない、読みたい人がいても書店では買えなくなってしまうことだ。
心を込めて作った本が重版未定になると自分の存在のすべてを否定されたようにつらい。
「オレの本」だからだ。
果たして担当編集者と出版社社長はどうだろう?
たいしてつらくないなら本当には「オレの本」じゃないのだ。

本が誕生したときは関係者で打上げをやる。本が死んだとき葬式をやったという話は聞かない。まあ悲しすぎてそんなことはとてもできない。
それにぼくは重版未定になったからといって本当に死んだわけではないとも思っている。いつか甦らせてやる。待ってろよ。

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「絵本作家の仕事」は毎週月曜更新予定です。
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