甘辛天丼まいたけ課 序章 一時社員・美味(3)

「お二人とも、昼食はまだですよね? どうぞ召し上がってください」

配膳ロボが運んできたドンブリからは、美味しい香りが放たれている。黒い漆塗りのドンブリの蓋を開けると、そこには大きくふっくらとしつつも重量感のある海老の天ぷらが3匹並んでいた。甘辛のタレもたっぷりとかかっている。極上大海老天丼だ。「松竹梅」では「松」ランク、いや、それ以上の天然記念物「屋久杉」レベルである。

「この大海老天丼は試作品です。採用試験というよりも、率直な感想をお聞きする試食といった方がよいかもしれません。リラックスしてお召し上がりください」

海老沢部長は、いつの間にか茎に葉がない赤い2本の薔薇を右手に持っている。その薔薇を器用に操り、優雅に大海老天丼を口にした。赤い薔薇2本、それは海老沢部長の箸だった。ほうっと息を呑む優雅な薔薇箸捌きである。

「ささ、お二人も遠慮なさらずに」

一時《いっとき》会社の営業へのへのもへじは、

「いやぁ、面接でこんなご馳走が出るなんて初めてです! ありがとうございます! いただきます!」

とむしゃりむしゃりと食べ始めた。

しかし、美味《びみ》の顔は硬直していた。目の前のドンブリの中には豪華な海老が湯気を上げている。甘辛い香りが食欲を誘う――が――

(海老郎《えびろう》……)

海老を食すこと、それは、美味にとっては試練であった。海老沢部長は薔薇箸の動きを止めて美味を見ている。美味が緊張したままだと思っているのかもしれない。美味の反応を期待しているようにも見えるその黒い瞳は、あの瞳と重なる。

(……海老郎の瞳と似ている……)

その時、美味の脳裏にマロンの姿が浮かんだ。この採用試験はマロンとのこれからの生活がかかっている。採用されるためには食べなければ……。ごめん、海老郎……。

美味は、目をつむった。ガツガツゴリゴリと大海老天丼を頬張った。なるべく味あわないように。流し込む・流し込む・流し込む。――でも、なんたることか……濃厚な旨味とともに弾けるようなプリっとした食感が口に広がる……極上に旨くて美味しい。24年ぶりに食べた海老は最上級に美味であった。大海老天丼を必死に食べる美味は、背徳感と美味しさのため苦悩と悦びが入り混じった複雑な表情となっている。

「カタッ」

誰よりも早く完食した美味は割り箸を置いた。そっと目を開くと海老沢部長と視線がぶつかる。

「天堂さん、試食のご感想は?」

「……海老が……」

「海老が?」

美味は、海老沢課長の瞳を正面から見た。「美味しいです」そう答えようと思った。それが、採用されるために必要な唯一の言葉《ワード》なのだ。

「……お…い…」

言葉が詰まる。期待がこもった海老沢部長の黒々とした瞳が海老郎の瞳と重なる。そして、美味が口にした言葉は違うものだった。

「悲しいです……」

嘘はつけない。海老郎との思い出に嘘はつけない。苦悶の美味の額に浮かんだ青筋の意味するところは、海老沢部長に伝わったはずだ。

「……悲しい? 悲しいとは……」

首を傾げる海老沢部長が言葉を続けようとした時、状況を察したへのへのもへじが、気まずい雰囲気を払拭するかのごとく大声で話し出した。

「いや、美味しいです! うちの天堂の出身地の方言で『悲しい』って『海老さいこー!!』って意味なんですよ。いや、うまいうまい。豪華絢爛で極上極楽も狂喜乱舞の風光明媚! とにかく海老万歳! やっほー海老海老!」

へのへのもへじは、大海老天丼を頬張りながらまくしたてている。申し訳ない、へのへのもへじよ……。ごめんね、マロン……。そして、すみません、海老沢部長……。

美味は、もう海老沢部長の顔を見ることはできない。目の前に置かれている黒光りするドンブリの底を見つめていると、ゆらゆらきらきらとドンブリが輝き始めた。そのキラメキは、目から涙が溢れ出しそうな証拠。社会人たるもの、面接で泣いてはいけない! 涙をこらえるのに必死な美味は、海老沢部長が美味を静かに見つめていることに気づくことはできなかった。

そして、面接は終了し、海老沢部長は最後に言った。

「今日は、面接にお越しいただき、ありがとうございました。結果は早めにご連絡致します」

その夜、へのへのもへじから連絡がきた。

美味は不採用だった。

(つづく)


浅羽容子作「甘辛天丼まいたけ課 序章 一時社員・美味(3)」、いかがでしたでしょうか?

むむむ、美味と老け王子・海老沢課長とは目と目で通じ合ったのか合わなかったのか、一方通行なのかすれ違いなのか。不採用の理由は天丼なのか。ていうか海老郎って、誰……!? 疑問を列挙したら小一時間かかりそうな、プリントしたらA4用紙にギッシリになりそうな不思議ワールドが今回も展開されておりますがみなさまついてきてますか。さて、不採用になったものの美味は気を取り直して職探しアゲイン、するしかない。アデリキュータで薄給ながらヨイショするか、美人山コーポレーションで美人の肩を揉み続ける高給取りか。他に何かいい仕事、ないもんでしょうか。待て、次号!

ご感想・作者への激励のメッセージをこちらからお待ちしております。次回もどうぞお楽しみに。

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