甘辛天丼まいたけ課 第1章 こんにちは、まいたけ課(1)

今日は、一時《いっとき》会社の営業であるへのへのもへじ顔のへのへのに同行してもらい初出勤の日だ。美味《びみ》は、最寄駅から浮遊列車の2階の席に座った。会社までは15分で着くし、浮遊列車は必ず座れるのでとても楽だ。

近いと分かってはいるものの、初日で遅れてはならないと美味は早めに家を出てしまった。就業先の株式会社ブラックホール本社がある駅、「新東京阪《しんとうきょうさか》駅」に到着したのは約束の30分前であった。美味が所在なげに駅の改札に立っていると、出勤の会社員たちが浮遊列車からふわりと降りてきて、駅から直結している空高くそびえるビルへと入っていくのが見えた。降車する99.9999999999%の人々が吸い込まれていくそのビルは、株式会社ブラックホールの自社ビルの本社である。超高層ビルで上の方はぼやけており、何階建てなのか視力が抜群に良い美味さえも分からない。おそらく最上階は雲の上にあるのだろう。もしかして大気圏を突破しているのかもしれない。極めて宇宙的なビルである。さすがブラックホールだ。数日前に面接で訪れたことがあるビルなのだが、その時は今よりも緊張していてビルの様子など観察する余裕もなかった。それに、面接場所は受付と同じ1階の面接室であったし、社員といえば丸社員の海老沢部長しか会わなかったので、会社全体としての印象は薄い。おそらく、これだけのビルなのだから社員数も利益も桁外れなはずだ。

(ブラックホールって、大手なんだなぁ)

そういえば、株式会社ブラックホールについて何も調べていなかった。一時社員を続けていると就業先についての興味が薄れてくるものだ。短期間しかいない会社なので当然のことであろう。もちろん愛社精神が湧くことはない。逆に、そんな感情を持ってしまったとしたら、確実に来る「契約終了日」が辛くなるだけなのである。

(逆転採用で雇ってもらえてよかったなぁ。それにしても、「海老課」で不採用だったのに、なんで「まいたけ課」で採用してもらえたんだろう……)

そんなことを考えながら佇む美味に、へのへのとした足音が近づいてきた。

「天堂《てんどう》さん、早いですねぇ。おはようございまぁす」

現れた一時会社の営業のへのへのもへじは、今日もへのへのとした様子である。

「あ、へのへのさん、おはようございます」

「いやだなぁ、僕、へのへのじゃないですよ。兵乃経之男《へいの・へのお》ですよ」

「あぁ、そうでした」

そんなへのへのと株式会社ブラックホール本社へと美味は向かった。受付マルコンにへのへのが来訪を告げると、すぐに迎えが来るという。美味たちは銀色の高速カプセルエレベーターの方を向いて迎えの社員が現れるのを待つ。おそらく薔薇の花をくわえた海老沢部長が優雅なバレェステップを踏みながらやってくるのだろう。あの年季の入った王子っぷりを再び見ることができるとは、なんとも縁起が良い。しかし、期待して待っていても、一向に海老沢部長は現れない。こりゃおかしい……と思った時、突然背後から野太い声が聞こえた。

「今日から出社の天堂さん、ですかね」

振り向くと、そこにいたのは、よれよれのTシャツに短パン姿で足には海用サンダルを履いた丸顔で無精髭の小太りの中年男性だった。ラフ過ぎる格好だが、なぜかネクタイを締めている。このネクタイのお陰でかろうじてビジネスカジュアル風味が少しだけ感じられる服装ではあるが、かなり個性派であることは否めない。美味は丸メガネのテンプルを触りながら即座に返答した。

「はっ、はい! 私が今日からお世話になる天堂、天堂美味です。よろしくお願いします!」

その中年男性は、慌てて挨拶をする美味の頭からつま先までをサッと眺めると、興味なさげな声で、

「あぁ、そう。天堂くん、よろしくね。私は天丼部まいたけ課の課長の舞田圭一《まいた・けいいち》です」

と自己紹介をした。美味は、舞田課長のネクタイの柄が、小さな赤い水玉模様に見えるが、実は極小の丸まった海老柄であることにすぐに気づいた。そして、なぜか嫌な予感が一滴の甘辛ダレのようにポツンと心に広がった。

* * *

一時会社のへのへのは、「では、うちの天堂をよろしくお願いします」と舞田課長に深々と頭を下げてから去っていった。

「面白い人だねぇ。へのへのもへじみたい」

にやにやと笑いながらへのへのの後ろ姿を見送る舞田課長の方が格段に面白い。改めて見ると、変な服装以外にも気になる箇所がある。

(舞茸みたい……)

舞田課長の髪型は、天に向かって開いた舞茸の笠のようなのである。白髪染めが伸びてしまっているらしく、根元が白っぽく先の方が茶色のグラデーションになっている。いわゆる舞茸カラーだ。かなりゲージュツ的だなぁと思って見つめていたのだが、舞田課長はそんな美味の視線など気にしていない。くるりと美味に背を向けると、

「じゃ、居室はこっちだから」

と、高速カプセルエレベーターとは逆の方向に足を向けた。その先は洞穴のような暗い場所、階段ブースのようである。ペタペタと歩いていく舞田課長を美味が唖然として見つめていると、急に振り向いた。

「天堂くん、何してんの!? こっちだってば!」

「あ、はいっ」

ダイエットのため階段で上るのだろうか? この高層ビルの何階まで上るのか。目眩がしてくる。

「居室にはここを下りるよ」

いや、違かった。舞田課長は階段を下った。上るより下る方が楽ではある。がしかし、待て、ここは1階なはず……。これほど高いビルなのに居室は地下なのか?

「あの……まいたけ課って地下なんですか?」

思わず美味は尋ねた。舞田課長は、

「そうだよ。天丼部全体が地下にあるんだよね。地上は777階建てだけど、既存の部署でいっぱいでさ。リモートホームワークの社員も半分いるから出社する人数も少ないけど、それでも手狭なんだよねー。だから、新規事業部の天丼部は地下なんだよ」

と平然な顔をしている。地下で働くのか。なんだか嫌な予感がすでに当たってしまっているようだ。

「地下ってエレベーターがないんですか?」

「あるけどさ、なんかねぇ~。ねぇ? 他の課の人も使うでしょ」

他の課が使うと使えないとはどういうことか。さっばり理解できない返答である。そのまま地下への階段を降りていく。ペタペタ・カツーンカツーンと舞田課長と美味の靴音が上へ下へと永遠に続きそうな薄暗い階段ブースに響いた。はるか地底から反響してくる音の方へと下っていく。地下は何階まであるのだろうか。螺旋状の階段の中央の吹き抜けを覗いてみると、そこはさながら底無しの井戸である。どこまで続いているのか見当がつかない。まいたけ課は地下何階なのだろうか、地下100階だったらどうしよう……と身震いしていた美味だが、

「こっちだよん」

と舞田課長の気の抜けた声で安堵することができた。不幸中の幸いで、天丼部は地下100階ではなく地下1階であったのだ。舞田課長が階段ブースを仕切る重いドアを手慣れた様子で開け、中へと進んでいく。美味も足を踏み入れた。すると、そこは意外にも清潔で明るい場所だった。廊下の端のようで、そこには、「Welcome! Tendon-bu」というプレートをかかったゲート型マルコンが設置されている。そのゲートは妙な形で既視感がある。しかし、どうしても思い出せない。つい最近見たような記憶があるが……なんだろう。

「天堂くんのデータは事前登録しておいたから、そのまま入って大丈夫だよ」

思い出そうと美味が丸メガネのテンプルを触り、一瞬だけ目を閉じていた間に、舞田課長はさっさとゲートを抜けて、ペタペタと先に行ってしまっている。慌てて、舞田課長を追って奇妙な形のゲートを美味がくぐると、「テンドーン」という音とともに、ゲートの周囲に緑色のランプが点いた。入場可の意味らしい。

そのゲートを抜けた美味は、立ち止まってしまった。そこは豪華な赤い絨毯が敷き詰められた長い廊下の端であった。

(つづく)


浅羽容子作「甘辛天丼まいたけ課 第1章 こんにちは、まいたけ課(1)」、いかがでしたでしょうか?

最上階は雲の上にある(推定)株式会社ブラックホール本社の地下1階「まいたけ課」で今日から始まる美味の会社ライフ。迎えてくれたは髪型のインパクト無限大の舞田圭一課長。ビジネスパーソンらしからぬその服装の中、唯一の例外ネクタイはなぜか小海老柄。不安です。どこがどう不安なんだか、全部おかしくてよくわかりませんが、不安です。

舞田課長ひきいるまいたけ課メンバーズは? 美味の初仕事は? 待て、次号!

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