甘辛天丼まいたけ課 第2章 真似する真音さん(1)

美味《びみ》が一時《いっとき》社員として株式会社ブラックホールの天丼部まいたけ課で働くようになって一週間が経った。今日も、万能犬マロンが作ってくれる朝食は栄養抜群で心が落ち着く優しいお味である。

「美味ちゃん、髪直すワン」

モゴモゴと朝食を頬張る美味の乱れたライスヘアーをマロンがブラシでとかしてくれる。

「マロン、いつも悪いねぇ」

返事の代わりにマロンは美味の顔を軽く舐めた。

美味は新しい職場に大分慣れたが、まだまだ本調子ではない。疲れ切って帰宅して、肝心のライスワークをする気力はない。そんな美味を心配しているのだろう。髪をとかし終えたマロンは、美味の肩に茶色く短い毛で覆われた手を置き、モミモミと優しく揉んでくれた。お金では買えない、愛のあるねぎらいの肩揉みである。美味にマロンの肉球が伝わる。ほどよい力の入れ加減に一瞬眠りそうになってしまった。――いかん! 今から出社だ! 肉球パワーでリラックスした美味は、今度は生活費となる「時給1850球《きゅう》x8時間=14800球」の給与を得るための活力が体の奥底から湧いてくるのを感じた。

「マロン、ありがとう! じゃあ、いってくるね!」

「頑張り過ぎないでワン!」

マロンの言葉に送られて、美味は浮遊列車に乗り出勤した。

* * *

「おはよう! 天堂さん!」

今日も丸社員の真音《まね》は、元気いっぱいのハツラツ笑顔だ。茶色いシメジのようなキノコカットで太陽のような眩しさを放っている。

「……おはようございます」

それとは対照的に、副社員である赤いベニテングダケそっくりの毒キノコカットのきの子は、いつもの通りの湿った菌類のような挨拶である。

美味は慌てて、丸メガネのテンプルを触りつつ、「おはようございます」と二人に返答しながら自分の席に着いた。

「バタン!」

まいたけ課のドアが騒々しい音をたてて開いた。ドアに張り付いた舞茸をぷよぷよと揺らしつつ中に入ってきたのは舞田課長だ。いつもであればもっと遅い出社のはずだが今日は早い。

「おはよう、僕の部下たち」

お決まりの朝の挨拶をした舞田課長は、サンダルをペタペタ鳴らしながら、自分の席に座った。すかさず真音は元気よく声をかける。

「おはようございますぅ、舞田課長ぉ! 今日は早いですねぇ」

「朝から会議でね。今日は会議が10個もあるよ」

「あら大変! じゃあ、私との打ち合わせは、今のうちにぃ……」

すぐに真音は舞田課長と業務の打ち合わせをし始めた。きの子も、舞茸栽培とそのデータ作りで忙しそうだ。美味もやっと超立体画像の仕事が本格的に始まったので、もう暇を持て余すことはない。

一週間この職場に勤務して美味が分かったことは、まいたけ課の社員たちは、奇態な見た目とは異なり、仕事は真面目に取り組んでいるということだ。この仕事ぶりならば、そのうち地下1階から地上階へと移動できるかもしれない。淡い希望が美味の心に浮かんだ。しかし、ちょっと待て。地上階は満室だったはず。そこに移動するということは、地上階のどこかの部署が地下に下りるということか? 地下2階より下は米部の居室となっているので、もし地下1階に下りた部署の業績がさらに悪くなった場合、その後はどうなるんだろう……マルコンで超立体画像の操作をしながら、美味の心にそんな疑問が去来した。そこに、真音と打ち合わせを終えた舞田課長が、その丸い顔を美味に向けた。

「そうだ、天堂くん。超立体画像の資料を海老課からもらってきてから次の作業入るようにしてね。海老課には話を通してあるから、海老課に直接行けばいいよ」

「はい、分かりました」

「僕は、これから天丼部の課長会議だよ。ほんと、役職つきっていうのは、忙しくてねぇ~」

舞田課長は、よれたTシャツの上に締めたくたびれた小海老柄のネクタイを少しきつく締め直した。

「そうですねぇ。私たち正規雇用の丸社員は責任が重くて大変ですものねぇ。その上、役職付きなんて舞田課長は本当に大変ですぅ」

真音は大袈裟に眉を寄せている。そして、不意に、自分の前の席に並んで座っている美味ときの子の方に、そのどんぐりまなこを向けた。

「イットキさんとフクシャさんは、気楽《きらく》でいいわねぇ……」

ため息混じりで発したその言葉は、小さな独り言のようなのだが、ここは栽培している舞茸たちの成長音が聞こえそうなほど静かな居室である。しかも、他の誰も会話をしていない状況だ。真音の独り言は、全員に聞こえているはずである。その証拠に、舞田課長は返事こそしないが、微かに口角を上げながら肯定するように首を縦に動かしている。さらに、きの子を見ると、赤いベニテングダケの頭から湯気が出そうなほどの険しい顔つきでマルコンを睨みながら作業を続けている。そして――美味はというと、衝撃的な真音の発言で、脳の理解する機能が停止されてしまっていた。ただただ、脳内には「気楽」という単語が駆け巡る。もしかして、「キラク」って「キラキラしてクラクラしちゃうぐらい素敵」の略語だっかしらん? 美味が口をぽかんと開けて手を止めていると、

「天堂くん、早めに資料を取りに行ってよね」

と舞田課長に念押しされた。

「は、はい、分かりました。すぐにキラクに行ってきます」

そう返事をするとドロリと濁った空気が漂いだした居室から逃げるように廊下へと飛び出した。

海老課の海老色の神々しい漆塗りのドアは何度見ても飽きがこない逸品だ。重要文化財に指定されていないのが不思議である。美味は思わず丸メガネを外して、その芸術的な漆塗りを間近で拝見した。メガネを外した美味には、細部まで行き届いた繊細な仕事ぶりがさらによく分かる。深みのある海老色が悠久の時を感じさせる極上品である。さらに、「天丼部海老課」と彫られた黄金のレリーフや著名な画家の新油水画まである。まるで美術館に来たような気分だ。

「ほう……」

自然と感嘆の声が漏れる。裸眼でドア鑑賞を堪能した美味は、丸メガネをかけ直し、緊張する指先で呼び鈴を押した。

「シュリーンプ」

鈴のような呼び出し音が鳴る。しばらくすると通話口から若く落ち着いた女性の声が聞こえてきた。

「はい。こちら海老課です。失礼ですが、どちらの方ですか?」

「あ、あの、私、まいたけ課の天堂《てんどう》と申します。舞田課長に指示されて超立体画像の資料を受け取りに来ました」

「あ、はい。お待ちしておりました」

返答が聞こえ、しばらくして、

「シュリーンプリーン、リリリリーン、プリンプリン」

という幻想音楽のような音色が鳴り始めた。それとともに、海老課の漆塗りのドアが重々しく左右にご開帳されていく。海老色のドアの中から明るい光を背に受けて現れたのは女神! いや、違う。正確には、女神のような女優のようなモデルのような女性が現れたのだ。栗毛色の長い髪に白い肌。黒いアイラインが引かれた切長の瞳は涼やかで、東エエゲ海の美女像のような均整の取れたご尊顔だ。そして、その体型はネオパリコレの一流モデル並である。キャラメル色のスーツに白くふんわりとしたリボンが結ばれたブラウスを着ているが、タイトスカートが甘くなり過ぎないバランスの良い大人らしさを醸し出している。そんな女神の両手には、それぞれ何かが載っている。「金の斧、銀の斧」ではなさそうなので、「金の資料、銀の資料」であろうか……。

「こちら、舞田課長から依頼されていた資料です」

しかし、資料は金でも銀でもなかった。普通の「天丼の資料」であり、どちらとも美味に渡したのである。

「ありがとうございます」

美味は、その顔に見覚えがあった。入社初日に米部で遭難した帰りに出会った海老沢部長と一緒にいた女性だ。その女性は、海老沢部長と同じく25mくらいありそうな長い足をきっちりと揃え、背筋を伸ばして言った。

「ご挨拶遅くなりましたが、私、先週から配属されました一時社員の清川風花《きよかわ・ふうか》と申します。海老沢部長の第十二秘書をしております」

美味と同時期に入社した一時社員であった。美味が面接して落ちた海老課に入ったことになる。

「よろしくお願いします。先週入社した一時社員の天堂美味です。まいたけ課に配属されています」

清川は、清い川に吹く風にたなびく花のような可憐な笑い方をして、「同期ですね」と美味に頭を下げた。湿った地下1階にいることも忘れるくらいの清々しさである。

「よろしくお願いします!」

美味も深々と頭を下げた。

「では、失礼します」

一礼して海老課の居室に戻っていく清川の後ろ姿を、美味は海老の香りがほんのり漂う天丼資料を抱えながら、ほうっと見惚れていると背後から、

「ほう……」

という声が聞こえてきた。驚いて振り向いた美味の目に入ったのは真音である。海老課の向かいの居室からシメジのような茶色いキノコカットと顔だけをひょっこりはんさせて、どんぐりまなこを瞬きもさせずに、こちらを見ている。美味を見ているのではない。清川の入っていった海老課のドアをじっと見つめているのだ。そして、ぽつりと言った。

「綺麗なヒトねぇ……」

真音の瞳はキラリと怪しく輝いていた。

(つづく)

(作・浅羽容子)


<編集後記> by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟

浅羽容子作「甘辛天丼まいたけ課 第2章 真似する真音さん(1)」、いかがでしたでしょうか?

シュリーンプ♪♪ と、出たー! 25m足の美人!
「美人山コーポレーション」から転職したんでしょうか? 第十二秘書って、景気の良さそうな会社ですね……。そして、キラーン★★と輝く、仕事熱心、だけどフクシャさんやイットキさんには優しくない、真音さんの瞳! 早速何かが起こりそうな予感がします。キラクに(もちろんキラキラクラクラしながらという意味です)待て、次号!

ご感想・作者への激励のメッセージをこちらからお待ちしております。次回もどうぞお楽しみに。

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