「マロン、今日のマロン特製ミソチーズスープはいつもよりさらに美味しいね!」
「昨日は、美味《びみ》ちゃんの給料日だったから、高級ミソを使ったワン!」
出勤前、いつも美味はマロンが作ってくれる朝食を食べている。このマロンの朝食がなかったら、美味の一日のパワーはゼロなのである。
「いつもありがとね、マロン」
「こちらこそワン!」
マロンは、美味の頬をペロリと舐めた。
「そう言えば、美味ちゃん」
「ん? 何?」
「昨日の美味ちゃんから聞いた話、思い出したことがあるワン」
日々、会社であったことをマロンに聞いてもらっているのだが、昨日は穴子課のことをいつもより詳しくマロンに話している。
「ワンが通っているパズル愛好会でのことワン」
「うんうん、それが?」
「前に海の写真のパズルをしたことがあるワン」
パズル愛好会に所属しているマロンは週に2回、集会に通っている。話したいのはその時のことらしい。
「その写真の中に、穴子が写っていたワン」
「穴子! うん、それで!?」
「愛好会の仲間の蜂谷《はちたに》さんが『穴子は小さい頃は透明なんだよ』とワンに教えてくれたワン」
美味のスープをすする手が止まった。
「え!? 穴子って透明だったの!?」
「ワン」
マロンはうなずいた。美味は、ずっと透明だった謎の答えが少し半透明になり見え始めてきたような気がした。そう、そのマロンの情報は、重要なヒントであったのだ。
* * *
「昨日はさぁ、海老沢部長に試食をお願いされちゃってさぁ~」
朝から舞田課長はご機嫌ご満悦である。
「いいですねぇ。大海老天丼の試食ですかぁ~」
今日も元気ハツラツ満点笑顔の真音《まね》は、まだまだ飽きずにライスヘアー続行中だ。
「違うよ。小海老天丼の試食だよ。海老沢部長は、他の試作品を先に食べてしまったから、僕にお願いしたんだって。僕を選んでくれたんだよ」
誇らしげに胸を張る舞田課長は、「劇的痩身サプリメント・ゲキレツヤセール」を3粒、ポイと口の中に放り込んだ。そして、早速、人気ドーナツ店「まるあげドーナツ」の新製品の特大ドーナツ「ひとみデラックス」を手にしている。
「それがさ、小さい海老でも調理の仕方で美味しくなるんだよね。ま、大海老天丼にはかなわないけど」
特大ドーナツをむしゃむしゃと音を立てて咀嚼《そしゃく》しながらも舞田課長は話を続ける。
「試作品だからかなぁ。小海老天丼を食べている僕をずーっと海老沢部長が見ているもんだから、照れちゃったよ」
妻子持ちの舞田課長は乙女のように頬を赤らめた。その頬には、今日も無精髭が密集している。
「海老沢部長がさ、最後に『舞田課長、ありがとう。これで海老課の開発した調味料は成功だと分かりました』と握手をしてくれんだ」
さらに乙女のように恥じらう舞田課長である。しかし、自身のマルコンから「課長会議ガ開始サレテイマスガ、大丈夫デショウカ?」という合成音声を聞くと顔色が変わった。
「わわ! 忘れてた~!」
舞田課長は残りのドーナツを口にくわえ、手元にあった収穫した舞茸が入ったカゴを抱えると、まるで少女漫画のオープンニングシーンのように慌てふためいて居室から出ていった。
「あ、舞田課長、間違えて持っていったわね」
そう、課長会議に持参するのは収穫舞茸ではなくポータブルマルコンである。
「天堂さん、悪いけど、私もこれからすぐ別の会議になっちゃうから、舞田課長にポータブルマルコンを届けてくれないかしら? ドンブリゲートのすぐそばの001会議室よ」
「はい、分かりました」
忙しいが頼まれたら嫌とはいえない立場の美味は、舞田課長のポータブルマルコンを持ち、001会議室へと向かった。
001会議室のドアを開けるとそこには受付があり、海老沢部長の第十二秘書の清川が椅子に座っていた。栗毛色の長い髪で相変わらず女優のような雰囲気を漂わせている。清川は入ってきた美味を見ると、親しみのある笑顔になった。
「あぁ、天堂さん。どうしたんですか?」
「お疲れ様です。清川さん、受付なんですね」
清川は声を潜めて、
「本当は受付なんて必要ないけど、やることがないので、やらされているんです」
と言うと、肩をすくめてみせた。
「それは、なんとも……。私は、舞田課長が忘れたポータブルマコンを届けにきました」
「あら、そうですか。でも、今日はまだ舞田課長とK課長はいらしていないんですよ。そちらお預かりしてもいいですが……」
そこに会議室の中から、
「今日は、海老沢部長から報告があります」
という声が聞こえてきた。001会議室は二重にドアがあり、閉まっている内扉の向こう側に天丼部の課長たちがいるようだ。廊下には声は聞こえないが、ここでは中の声がよく聞こえる。
清川は、唇に人差し指をあて、「せっかくだから、舞田課長が来るまで待っていたらどうですか。課長会議なんて滅多に聞けませんし、ね」と小声で美味に言った。美味が清川に返事をする前に、中からまた声が聞こえてきた。
「皆さん、ごきげんよう。海老課からの報告をさせていただきます」
海老沢部長のダンディな声である。
「先日、B級品の小海老を入手しました。見た目からして色艶も悪く小さく不揃いな低級で最低な海老です。しかし、以前から海老課で開発していました『どんな海老でもある程度は美味しく仕上がる旨味増幅調味料』を使用する良い機会だと気づきました。こちらの調味料を使用し、小海老天丼を試作したのです。私が試食して体調が悪くなった時のことを考慮し、志願された別の方にまずは試食をしていただいたのですが、美味しいとの評価で体調にも変化はなかったようです。『どんな海老でもある程度は美味しく仕上がる旨味増幅調味料』の開発は成功したと言えるでしょう」
中から拍手が鳴り響いた。
その時、001会議室の外扉がそっと開いた。入ってきたのは、美味が以前に見かけた半透明の人物だ。――しかし、やはり前よりも透明ではなくなっている。若い女性であることがすぐに分かる。
「遅れてしまいました……」
小さいが声も聞こえた。この人物がK課長に間違いない。
内扉を開け、K課長が中に入って行く時、正面にいた海老沢部長にぺこりと頭を下げた。しかし、海老沢部長はK課長をチラリと見ただけで無表情で挨拶を仕返さなかったことに美味は気がついた。
あまり長居しているのもよくないので、引き止める清川を丁重に断り、美味は舞田課長のポータブルマルコンを清川に預け居室に戻った。舞田課長はというと、別の会議室に間違えて行ってしまっていたらしい。しばらくして気づき舞茸のカゴを抱えたまま001会議室に行き、そこでやっとポータブルマルコンを忘れてきたことに気がついたという。B級小海老で作った天丼の話を聞かなかったのは、良かったのか、悪かったのか。美味には分からなかったが、舞田課長が志願して小海老天丼の試作品を食べたのでないことだけは分かっていた。
その日の帰りである。美味が一日の労働を終え、グッタリとして新東京坂駅で浮遊列車を待っていると、話しかけてくる人物がいる。
「どこの素敵なお米が立っているかと思ったら、天堂くんじゃないかね」
「あ! 米田《よねだ》博士、お疲れ様です」
米田博士である。いつもの白衣の代わりにトレンチコートを羽織っているのが新鮮だ。
「今日も上質なササニコシキヒカリのようだね」
いつものようなお世辞ではない心からの褒め言葉を聞き、美味は、そういえば最近は真音のライスヘアーが気にならなくなっている自分に気づいた。米田博士のような人が分かってくれているので、どんなに真似されても目障りでもなんともなくなっていたのである。
「米田博士、ありがとうございます。その言葉……本当に嬉しいです」
頭を下げた美味は、博士が通勤カバンの他に小型のキャリーバッグを引いていることに気がついた。出張なのだろうか? 美味がそれについて聞こうと思った時、博士が先に口を開いた。
「先日、話しそびれた穴子課のことだが……」
気がかりだった話の続きである! 今度こそは、小米田1号も2号に邪魔されることなく話を聞けそうだ。
「ええ、私、その話を聞きたかったんです!」
「うむ。穴子課の社員たちが半透明になっていることだがね、あれは、穴子課が独自に開発したサプリメント『穴子サプリ』の副作用のためだよ」
思った通りあの茶色い「穴子サプリ」が原因であったようだ。
「米田博士、私、その穴子サプリについては知っていました。K課長が廊下に落としていったサプリを間違えて拾った舞田課長が服用してしまい一日だけ半透明になったんです。そのサプリのせいかな……と察しはついていたんですが、半透明が『副作用』だというとサプリの主目的とする効能は別にあるのですか?」
「そうだよ、天堂くん。良い着眼点だ。穴子サプリは、『穴があったらずっと入っていたいくらいの恥ずかしがり屋のために存在を目立たなくする効果』という目的で作られたんだ。半透明になるというより、単に『目立たなくなる』が主目的といえる」
以前、米田博士は、その穴子サプリの開発でK課長から相談を受けたことがあるそうだ。米課に所属していた若手の如呂田《にょろだ》に対応してもらったらしい。そして、しばらくして、K課長から穴子サプリ開発のため如呂田を穴子課に異動させて欲しいと要望があったそうだ。如呂田は優秀だったので手放したくなかったが、本人の希望もあり、そのヘッドハンティングに応じて異動してしまったという。
「K課長は内気なシャイで人見知りの恥ずかしがり屋だ。また、優秀な社員である如呂田くんも同様に内気だったのだ。そのため、K課長に親近感を抱いたのかもしれない。穴子サプリの開発にものめり込んでいったのだ」
美味は、舞田課長が盗み聞きした話の中で「如呂田」といういかにも穴子的な特徴のある名前が出てきたのを思い出した。
「K課長がいくら内気であっても、課長という責任を追わなくてはならない役職だ。状況に行き詰まったため、穴子サプリの開発をしたように私は思う」
米田博士は、小さくため息をついたあと、話を続けた。
「しかし、サプリの副作用、半透明が経時的変化をすることは、K課長も如呂田も計算外だったようだ」
「それって、最近、K課長が徐々に透明でなくなってきているってことですか?」
「そうだ。穴子サプリを服用した初期から中期は、いわば『穴子の幼生』に相当する。幼生とは赤ちゃんということだが、その穴子の赤ちゃんも実際に透明なのだよ」
「あ、それ、うちのマロン――万能犬のマロンも言ってました」
「お、天堂くんは万能動物を飼っているのかね?」
「えぇ、私にはもったいないくらいの頭のいい犬です」
その時、ふいに美味は博士が持っているキャリーバッグが気になった。よく見ると、普通のキャリーバッグよりも浅く、側面には小窓がついている。しかも、中からカーテンが引かれているようだ。もしかしたら、これはペット用なのではないか?
「ところで、米田博士。そのキャリーバッグってもしかしてペット用ですか?」
「これか? これはな……」
その時、米田博士の手首に巻かれたプチマルコンが鳴動した。表示板には、「小米田3号」の文字がある。美味は、その文字を見て嫌な予感がした。二度あることは三度ある……のか? 米田博士がプチマルコンに触れると、すぐに声が聞こえてきた。
「――米田博士、急いで415実験室に帰って来てください! コメールC分子が分離し始めました!――」
「小米田3号、本当かっ!」
米田博士は、またもや美味を置いて、慌てふためき会社へと走って戻って行ってしまった。米田博士が持つキャリーバッグの窓のカーテンが中から少し開けられたのであるが、ちょうど浮遊列車が到着したため美味はそれに気づくことはなかった。
(つづく)
(作・浅羽容子)
<編集後記> by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟
浅羽容子作「甘辛天丼まいたけ課 第3章 クリスタルなANAGOたち(4)」、いかがでしたでしょうか?
で、出た、小米田3号! いったい何号までいるのか、見守っていきましょう。それでは今日はこの辺で……
じゃなくて、謎が謎を呼ぶ展開にクラっとしますね。内気対策サプリ服用で、半透明の幼生時代が終わったら、どうなる穴子課? 米田博士のキャリーの中身は? そして、秘書を山ほど従える海老沢部長って一体、どんな人? なんだか暗黒面がチラリと顔を覗かせています。暗黒といっても果ての見えない地獄の漆黒というよりは、カラッとチャッカリ現金ブラック。海老に優しく舞田に厳しい老け王子、その脚25メートル。大丈夫なのか株式会社ブラックホール。美味の無事を祈りながら、待て、次号!
ご感想・作者への激励のメッセージをこちらからお待ちしております。次回もどうぞお楽しみに。