「マロン、持っていくもの忘れてない?」
「大丈夫ワン!」
今日は、美味《びみ》はマロンとともに出勤だ。新調したパズル柄のエプロンを着けたマロンは幾分緊張しているようだが、ワンと笑ったので大丈夫だ。
美味の「4人の課長たちが集合した上での特製ディップの調理の実演」という条件に、「本当は嫌だが、仕方がない」という勿体ぶった言い回しながらも4人とも了承とのことだった。しかも、返信はすぐに来た。まるで待っていたかのような速さである。
マロンと一緒に出勤した美味は、元合同四課の試作品制作スペースで調理の準備をしていると、課長たちが集まってきた。合同四課の解散後は課長会議もリモートで参加していたようなので、解散以来、初めて4人が顔を揃えたことになる。課長たちは、お互いの顔を見ないようにして調理場の前の椅子に遠巻きに無言で座った。しかし、4人とも、美味の他にそこにいるのが犬だけということに驚いる様子ではある。準備が整い、美味が口を開いた。
「芋戸《いもと》課長、カボチャール課長、那須川《なすかわ》課長、蓮根《はすね》課長、お越しいただきありがとうございます。こちらが、私の家族、万能犬のマロンです」
「よろしくですワン」
マロンが、頭を下げると、4人の課長たちも頭を下げた。「万能犬」という美味の言葉で全てを納得をしたようである。
「今から特製ディップを作ったマロンが調理の実演をします。マロン、じゃあ、お願いね」
「ワン!」
マロンは、用意していたカゴの中から4つの野菜を取り出した。
「これが、特製ディップの中に入っている野菜だワン」
「おぉ……!」
「ナント……!」
「そんな……!」
「まさか……!」
4人の課長から自然と声が漏れた。マロンが取り出した野菜は、そう、芋、南瓜、茄子、蓮根の4つなのである。特製ディップの味は濃厚な旨味があり、野菜が主原料だとは思えない。さらにその野菜が、芋、南瓜、茄子、蓮根だとは……。これは、マロン独自の調理法により4つの野菜が混ざり合い、新たな濃厚な味を作り出したからである。
「これをこうしてワン」
マロンは実演を始めた。
「まず、下味用調味料としてこれを入れるワン、そして……」
手際良いマロンの調理に、無意識に4人の課長は椅子から立ち上がり、調理場の近くへと集まってきた。4人がマロンの前に並んでいる。
「次に、これらを火にかけるワン」
調理が進むごとに、マロンの手元をよく見ようと4人の課長たちは触れ合うくらいに近づいている。
「それで、最後にこれをこうして、出来上がりワン!」
特製ディップが完成した。
「さぁ、出来立てをお野菜スティックに付けて食べてみてください」
美味は、芋スティックをカボチャール課長に、南瓜スティックを那須川課長に、茄子スティックを蓮根課長に、蓮根スティックを芋戸課長に渡した。課長たちは、素直に渡されたスティックに出来立ての特製ディップを付けて口の中へと入れた。カリカリという軽快な音が試作調理室に響く。その音は、課長たちの脳に刺激をもたらし、わだかまりを解消していっているようだ。
「うん、うまい! 蓮根とディップがピッタリだ!」
芋戸課長が言った。
「最高ですネ! ディップを付けた芋スティックは!」
カボチャール課長が言った。
「南瓜にディップ、これはイケるじゃないか!」
那須川課長が言った。
「このディップを付けた茄子スティック、感動的であります!」
蓮根課長が言った。
「ありがとうワン!」
マロンは、絶賛の言葉に尻尾をブンブンと振っている。
無心にカリカリと特製ディップつきのお野菜スティックをかじっている課長たちにヒラメキ効果が現れ始めたようだ。課長たちが次々と話し出し始めた。
「――このままでも、充分なのだが、さらに良くする方法はないかね……?」
「ワタクシたち合同四課が作っている野菜を原料にした方が良いのではないのかナ?」
「あと、お野菜スティックに、4つの野菜を1本にした4色のマーブルスティックも加えてみてもいいんじゃないか?」
「自分も、今、同じ事を考えていました!」
いつの間にか、4人は円陣を組むように丸くなり、真剣な顔になっている。自由に意見を言い議論をしているのだ。
「芋だけではこの味は出せない。芋、南瓜、茄子、蓮根が混ざり合い、この絶妙な旨味、味わいが出てくるんだ……」
「ワタクシも、そう思うヨ!」
「やはり、合同四課は素晴らしい!」
「この特製ディップのように、自分達は4人でひとつでありますっ!」
マロンと美味は顔を見合わせると笑った。合同四課のツレション4《フォー》は、すっかり元に戻っている。「仲直りしよう」とか、「ごめん」とか、そういった言葉なしに仲直りできる、それが本当の仲良しなのかもしれない。晴れやかな顔で瞳を輝かせた課長たち全員が、
「マロンさん、あなたのレシピを是非、合同四課の新商品に加えたい!」
とマロンの方を向いている。
「OKワン! では、レシピ使用の細々とした契約については、後日改めて話し合うワン」
マロンは、使用料金の交渉と契約内容について、うやむやにならないように念を押した。さすがマロンだ。美味はマロンの対応力の凄さに痺れるのであった。
* * *
芋、南瓜、茄子、蓮根の4つに割られていたプレートが接着されて元の一枚に戻り、廊下のドアに取り付けられている。ツレション4は再結成され、合同四課は元に戻ったのだ。作ってしまった4列を区切る細長い壁は、結局、1週間未満で壊すことになった。壁撤去日の今日、4つの課の全社員がジャージ姿になっている。
「合同四課の皆さん、マルコンを避難させましたね? では、今から壁を壊します!」
壁の向こうのカラオケブースからマイクの声が聞こえてくる。カラオケ交流会の当番社員が壁撤去係を兼任して発声しているのだ。
「では、壁撤去、スタート!」
課を区切る壁を全員で思い切り壊し始めた。壁は壊されることを前提に作られていたかのような柔らかい材質で簡易的な作りだったため、たやすく壊されていく。崩れた壁の向こうから、別の課の社員たちが顔を覗かせた。
「やぁ! 久しぶり!」
「寂しかったよ!」
どこもかしこも再会を祝っている。握手をしたり、笑いあったり、抱き合ったり――ブラックホール史上に残る合同四課の壁崩壊の日である。
壁の撤去が終わり、次は席を元に戻す作業だ。美味も、芋課の末端へと席を移動していった。近づいてくる美味に気がついた大芋が素早く駆け寄り、席移動を手伝ってくれた。
「天堂さん、今回の件、本当にありがとうございます! 合同四課の社員たち全員、天堂さんとマロンさんに感謝しているんです」
大芋の顔にたんぽぽのような穏やかな笑顔が戻っている。その顔を見るだけで、美味はマロンと一緒に頑張った甲斐があったと心から感じた。
「私も大芋さんとまた隣どうしになれて嬉しいです」
壁撤去と席移動は合同四課の団結力で迅速に終わった。元の広い居室に長い4つの列が並んでいる光景は、平和そのものの象徴であった。
もちろん今日はカラオケ交流会がある。久々のカラオケ再開なので大々的に開催されるようだ。ツレション4が美味の席にやってきた。
「今日のカラオケ交流会は久々だな」
「天堂さんは何を歌うンですか?」
「俺とデュエットしようぜ」
「マロンさんも参加であります!」
ツレション4は邪心のない笑顔で美味を見つめている。美味の意思を聞く事なく参加させることに対して何の疑問もないような顔だ。
「あ、は……」
反射的に了承の返事を口にしそうになる美味だったが、顎を幾分上げ、そして言い直した。
「お誘いありがとうございます。でも、参加しません。私は一時《いっとき》社員なので、勤務時間以外の拘束はお断りします。しかも、マロンはこの会社の社員ではないので参加をする必要はありません」
言わなくても伝わることもあるが、言わなければ伝わらないこともある。
「ごめん……強制参加させようしていたんだな……」
「ワタクシたち、天堂さんの気持ちを考えていなかったネ……」
「俺たち、ずっと無意識にパワーハラスメントをしてたってことか……」
「自分、申し訳ないであります!」
謝罪の言葉を言うツレション4の課長たちは、一斉に美味に頭を下げた。
「いえ、いいんです。頭を上げてください。カラオケは嫌いではないので、たまには参加させてもらうかもしれません。その時はよろしくお願いします」
美味のその言葉に、頭を上げたツレション4の顔は安堵の表情だ。
「そうしてよ! いつだってウェルカムだよ!」
「天堂さん、待っているヨ」
「参加、楽しみにしているぜ!」
「あ、あと10分でカラオケ交流会開始でありますっ!」
その言葉と同時に、机がガラガラと移動され、カラオケブースが前に引き出され始めた。ツレション4は「じゃあ」と声を揃えて言うと、カラオケ交流会の準備のため去っていった。
ライスワークを再開し始めた美味は、もう余計なことに時間を使いたくない。見失いかけていた目標は、ブラックホールに入っても決して吸い込まれることのない頑強な一筋の光のように美味の前に再び現れた。ライスワーク再開の第一弾のライス作品は菊代の出産祝いになる。無事に出産できるよう祈りを込めなければならない。俄然、気合いが入る。帰り支度をする美味の丸メガネがキラリと光った。
(第4章 合同4課の決裂 おわり)
※次回は「第5章 偽札事件」です。お楽しみに!
(作・浅羽容子)
<編集後記> by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟
浅羽容子作「甘辛天丼まいたけ課 第4章 合同四課の決裂(5)」、いかがでしたでしょうか?
超絶仲良しツレション4が元通りになって、大芋さんも安心。さすが名万能犬マロン、がんばりました。美味も臨時の仕事にモヤモヤしながらがんばった! 一時社員としてのケジメも課長たちにバッチリ伝わり、情けは人のためならず。これでモリモリライスワークに精を出せる……のか? えっ、偽札!? 大事件の予感がします、待て、次回新章!
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