美味《びみ》とマロンの前に現れた壮大なものとは、巨大な陶器のお茶碗によそられた米飯であった。
「すごいっ!」
「大きいワン!」
高さは、美味3人分近くあるだろうか。重さもかなりありそうだ。お茶碗によそられた米飯は、通常の米を炊いたものではないのは一目で分かる。その米飯の一粒は、虹リンゴ1個か2個くらいの大きいものなのだ。その陶器の茶碗には稲穂の絵がぐるりと描かれている。以前、美味が回覧板を渡しに行った時にドアの隙間から見えたものと同じ絵である。あの時は一部しか見えなかったため、こんなに大きいものだとは予想だにしなかった。その稲穂柄の茶碗によそられた米飯からは、温かい湯気がもあもあと立ち上っている。熱くもなく、冷たくもなく、ちょうど良い温度に保たれているようだ。米飯の艶も良く、とても美味しそうに見える。
そんな米飯モニュメントの前には、撮影用ブースや顔ハメ看板も設けられ、白衣の丸社員、小米田たちが来場者たちを無料撮影したり、展示物の説明をしたりしている。
「はぁ、すごい……」
巨大な米飯モニュメントを美味とマロンが見上げていると、
「やぁ、天堂くん」
と声を掛けられた。
「あ、米田博士」
「おや、君はマロンくんかな?」
米田博士が美味の隣にいたマロンに気がついた。
「そうだワン!」
マロンは尻尾を振っている。
「私の家族のマロンです。こちらが、米部米課の米田博士だよ、マロン」
「よろしくワン!」
「よろしく、マロンくん」
米田博士がマロンに右手を差し出し、二人は握手を交わした。
「ふむ、炊き立てのお米のような柔らかな肉球だね。素晴らしい」
「ワン!」
にっこりと米田博士は笑った後に、米飯モニュメントをまっすぐと指差した。
「どうかね! これがシークレットにしていたものだよ」
「すごいです!」
「大きいワン!」
驚く美味たちの反応に満足した様子の米田博士は、米飯モニュメントの陶器の茶碗の台座部分へと美味たちを案内した。そのエリアは土足厳禁で白衣着用となっている。美味とマロンも靴を脱ぎ、白衣を着た。そこは関係者以外立ち入り禁止の場所なのだが、特別に入らせてもらえたようだ。
「天堂くん、マロンくん、ここにスイッチがあるだろう」
その指差す台座部分には、確かにスイッチやダイアルがいくつもある。
「ここのダイアルは、米飯を適切な温度に保つことができる。ほら、こんな具合に湯気の調整もできるんだよ」
米田博士がダイアルを回すと湯気の量がぐんと増えた。
「ほぅ……」
「こちらのスイッチは、ご飯茶碗が傾いたり、回ったりする機能がある。横のダイアルで速度や傾斜の調節も簡単に出来るんだ」
米田博士はスイッチに手を触れた。
「では、試しに回して見せよう」
スイッチを入れると巨大なご飯茶碗がゆっくりと回り始めた……その光景は、楽しいようでシュールなようで、美味は不思議な気持ちになった。ご飯茶碗が一周し停止した。
「回ったワン」
「回りましたね」
じっくりと間近で米飯を見た美味は、あることが気になった。お米にとって一番大切なこと、である。
「米田博士、楽しいですね、回る稲穂柄のご飯茶碗。ところで、この米飯って味はどうなんですか?」
美味の質問に米田博士は瞬きを数回繰り返した。
「味は……まぁまぁだ。すまん、メンテナンスの時間だ。ちょっと小米田たちの手伝いに行ってくるから、少し待っててくれたまえ」
そう答えると、美味の視線を避けるようにその場を去ってしまった。いつの間にかメンテナンスのための一時閉鎖時間になっているようで美味とマロン以外の見物客はいない。小米田たちと米田博士は、打ち合わせのため美味たちから離れた場所で集まりこちらに背を向けている。
「味が『まぁまぁ』ってどういうことかな……」
米田博士たちは振り向きそうもない。美味はすぐそばにある米飯の誘惑に耐えきれず、ご飯茶碗の中へと手を伸ばした。米飯を少しちぎると、隣のマロンに半分渡す。そして、残りの米飯をそっと自分の口に入れてみる。
「まずい」
「まずいワン」
決して食べられないことはない。しかし、大きさに比例して、旨味成分が薄められてしまっているとしか思えない味である。白く艶があって湯気が出ていて、とても美味しそうではあるが、その見た目に騙されてはいけない。さらに、よく見ると米粒の形状も歪んでいて、無理やり大きく引き伸ばしたような状態になっている。
「なんて大雑把なんだ……」
雑なフォルムの米飯を見て、美味は愕然とした。美味のライスワークとは違うものであるが、同じ米を材料としている立体物として捉えると、大きくすることだけに焦点を当てた粗悪品としか言いようがない。
「……米が泣いている……」
こんな気持ちで米を見るのは初めてだ。横のマロンも
「くぅぅぅん」
と滅多に出さない鳴き声である。お米を愛する米田博士が、なぜこんなものを作ってしまったのだろうか。美味はその理由が全く分からなかった。ただただ、意外な場所にあった落とし穴、ブラックホールに落ちてしまったかのような気分になるだけである。そこに、打ち合わせを終えた米田博士が戻ってきた。
「やぁ、お待たせした。じっくりと見てくれたかな。どうだね、この巨大な米飯モニュメントは? 是非、天堂くんの感想を聞かせてくれたまえ」
米田博士の瞳はまっすぐと美味を見つめている。その瞳は褒めてもらうことを期待している目だ。褒めてあげたい、だが、しかし……
「……ただ大きいだけです」
美味は米飯モニュメントを褒めることが出来なかった。正直に感想を述べてしまったのだ。米田博士は、美味の意外な言葉に口が開いたままである。驚きのため、その言葉の意味を理解できていないのかもしれない。しかし、次第にその顔が赤くなってきた。
「大きいからいいんじゃないかね?」
怒りの唐辛子色の米のような顔である。明らかに機嫌が悪くなっている。二人の関係に亀裂が入ってしまったのは明確だ。
「米田博士、美味ちゃんはワン……」
マロンが二人の仲直りさせようと話し始めた時、
「米田博士!」
という声で会話は中断されてしまった。その声を発したのは、廊下から居室へと飛び込んできた白衣を着た社員だ。胸ポケットには、「小米田《こよねだ》55号」と刺繍がある。
「米田博士、急いでください! コメールX分子が増幅し始めました!」
「小米田55号、本当かっ!」
米田博士の荒ぶれた声に、居室にいる全ての小米田たちが反応した。
「早く行かなければ!」
「小米田部員たち、全員集合だ!」
小米田たちは55号とともに全員、走って廊下へと去っていく。もちろん米田博士も後を追った――しかし、いつものようにはいかなった。怒りと焦りのためか、米田博士の足がもつれ、米飯モニュメントの陶器の台部分にぶつかってしまったのだ。
「あっ!」
そして、その拍子に誤ってスイッチやダイアルなどの操作部分に触れてしまったらしい。巨大な米飯モニュメントが高速で回り出してしまった! 米飯が回る! ご飯茶碗が回る! 稲穂も回る!
「わぁ!」
「危ないっ!」
「ワン!」
固まったまま動けなくなっている米田博士をタックルするように米飯モニュメントから美味が引き離すと、マロンが駿足を活かし台座へと向かった。そしてスイッチやダイアルを操作し、素早く美味たちの方へと駆け寄った。その操作に反応し、高速で回る米飯モニュメントは速度を落としていく。そして、止まる――はずだったのだが――
「きゃあ!!!」
スローモーションのように陶器の茶碗は横倒しになった。そして、雪崩のように白く大きな米飯の粒が美味たち三人を飲み込んでしまった。
(つづく)
(作・浅羽容子)
<編集後記> by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟
浅羽容子作「甘辛天丼まいたけ課 第6章 レッツ・シャイン祭(3)」、いかがでしたでしょうか?
「ただ大きいだけです」「米が泣いている」
さながら最高級米のツヤツヤライスヘアーの美味から飛び出す名言。そして炊きたてご飯のようなやわらかい肉球のマロンの口からも「まずいワン」と。
米田博士の米愛への信頼が、会社では自分を殺しがちな美味を正直にさせるのか、そもそも米を愛する米田博士がなにゆえ巨大なだけでまずい米など作ってしまったのか。一気に55号の存在が確認された小米田、いったい何人いるのか。米、英語で言えばライスのことで頭をいっぱいにして、待て、次号!
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