甘辛天丼まいたけ課 第7章 新商品ブラックホール(4)

美味《びみ》は、米部米課の特別研究室の居室のドアの外に立ち、耳を澄まして中の会話を聞いていた。

「米田くん、でかしたな! 人工ブラックホールを作るとは、さすがは我が社が誇る天才丸社員だ!」

威圧的だが少々甲高い声が居室に響く。

「黒穴《くろあな》社長、違うのです。これは作ったわけではなく偶然に実験の副産物としてできてしまっただけなのです」

返事をする米田博士は緊張しているようだ。

「まぁ、そんなことはどうでもいい。早速そのブラックホールを見せてくれたまえ」

黒穴社長と思われる声が急かすように言った。

「いや、それはちょっと……」

「米田部長、黒穴社長が見たいとおっしゃられているんだよ? 会社内での研究成果を社長に見せられないなんてことはないだろう?」

この声は海老沢部長だ。いつもの穏やかな調子ではなく、どこか冷たさがある。

「では、見せるだけであれば……」

米田博士の低く小さな声の後、何人もの足音が聞こえ、遠ざかった。米田博士に案内されて社長たちは奥の特別実験室に移ったらしい。耳を澄ませても、もう何も聞こえない。美味はざわつく気持ちのまま、まいたけ課へと戻るしかなかった。

その日の帰りである。美味は、居ても立っても居られない気持ちで、米部米課の特別研究室へと向かった。中に入ると、米田博士が一人でマルコンに向かい難しい顔をしている。

「米田博士、お邪魔します」

「あぁ、美味くん」

美味の顔を見て、米田博士の表情が少し和らいだ。

「あれ? 海老郎《えびろう》はどうしたんですか?」

「うん……。海老沢部長が来るというので、奥の実験室の安全な場所で仕事をしている。昼も海老郎はたまたま奥にいたから海老沢部長に会わなくて済んだんだが……もしかして、美味くんは昼休みにここに来たのかね?」

「はい。マロンが依頼を受けることをお伝えしにきた時に、会話を立ち聞きしてしまいました」

「そうか! マロンくんが引き受けてくれたのか! 嫌なことばかりだったがそれは吉報だな」

にこりと笑った米田博士だが、すぐに焦った表情になり時計を見た。

「あ! そろそろ海老沢部長が来る時間だ。美味くんがここにいるとまずい。しかし、このまま廊下に出ても海老沢部長と会ってしまう……急いで隠れてくれ。この机の下がいいだろう」

「はい!」

美味はすぐ近くにある米田博士の机の下に隠れた。その時である。ノックの音のすぐ後にドアが開いた。

「失礼しますよ。米田部長」

「あぁ、海老沢部長……」

ステップを踏んでいるようなリズミカルな靴音は海老沢部長である。

「殺風景な部屋ですね。こちらをどうぞ」

おそらく薔薇を渡したのであろう。米田博士は無言で受け取ったようだ。

「先ほどはブラックホールの見学をさせていただき、ありがとうございました。実は、あの後、黒穴社長と幹部たちで話し合いをしましてね。その決定事項を私が代理でお伝えにきたのです」

「決定事項……!?」

机の下の美味の心臓が高鳴った。嫌な予感がする……。

「そう、実はですね。ブラックホールを商品化することが決まりました」

「なんと……!」

米田博士が絶句している。美味の嫌な予感は的中だ。

「米田博士がご説明してくれたブラックホールの特性、愚痴や不要な感情を食べてくれる、そして、愚痴を言った方はスッキリ爽快な気分になる――これは、現代のストレス社会に受け入れられる素晴らしい勝算のある商材ですよ」

商材――まさかブラックホールを売る対象にするとは思いもよらない発想だ。

「売るのかっ! 危険なあれをっ! それはできん! 間違っている!」

声を荒げ猛反対する米田博士を嘲弄するように、海老沢部長の「はははは」という艶やかな笑い声が響いた。

「何をおっしゃっているのですか? 危険なものを危険でなくするのが、この会社の最高研究開発機関である米部米課の責務でしょうが。まぁ、危険なものを危険でないと思わせる、でも一向に構いませんが」

「海老沢部長……あなたっていう人は」

米田博士の声も机の下の美味も震えている。

「先ほど社長を中心とした『ミニブラックホール発売プロジェクト』が発足しまして、私がメンバーに加わりました。天丼部との掛け持ちで随分と多忙になりそうでね。社長が、秘書の数を12人に戻してくれるそうですよ。まぁ、米田部長は直属の部下の小米田《こよねだ》くんたちが100人もいるから、私の12人の秘書など微々たるものなのですが」

米部米課の理系丸社員である100人の小米田たちは確かに米田博士の直属の部下ではある。しかし、日々の研究開発業務で忙しく、100人では足りないほどであるのは全社の誰もが知っている。海老沢部長の個人業務の秘書とは比較にならない。

「とにかく、ブラックホールの商品化は黒穴社長からの業務命令ですから。その点、どうぞお忘れなく。では」

軽やかな靴音が聞こえ、止まった。ドア付近で立ち止まったらしい。

「それにしても、この居室は高級な海老の香りがほんのりとしますね……。では、失礼します」

また靴音が聞こえ、遠ざかっていった。海老沢部長が居室から出て行ったようだ。美味はそっと机の下から出た。

「米田博士……」

そこには、赤い一本の薔薇を強く握り締め、震えながら立ち尽くす米田博士がいた。

「なんとか阻止しなければ……」

米田博士は、赤い薔薇を机の上に投げ出すと、

「美味くん、海老郎のところに行こう」

と言い、美味を連れて特別実験室の奥へと向かった。実験室に設置されている数々の大規模な実験器具の間を抜けて奥まで進み、海老郎のいる作業スペースに着いた。美味たちに気づいた海老郎がハサミを3回鳴らした。海老郎の前には、いつもの海老郎用の小型マルコンともう一つ別の海老色の小型マルコンが並んでいる。海老郎は、海老色のマルコンの方を器用に操り、合成音声で話し出した。

「僕、不思議だったんだ。なぜ、ブラックホールの秘密が社長たちにバレてしまったかということが。小米田くんたちも美味ちゃんも話すはずがないし。これはもしかして……と思い調べてみたら分かったよ」

「海老郎、何が分かったんだい?」

米田博士の問いに、海老郎は元から使っていたマルコンの方をハサミで指した。

「この社内マルコンに情報収集機能が自動搭載されるようになっていたんだよ。おそらく、シャイン祭の後くらいからだと思う。だから、今、僕は社内用ではない私用マルコンを使ってしゃべっているんだ」

「そういうことか……!」

「情報が筒抜けだったということですね?」

海老郎は、ハサミを3回鳴らした。そのハサミの音とともに米田博士は、ハッとしたように一回、肩を大きく上げた。

「……ということは……」

何か思いついたようである。米田博士は不敵な笑みを浮かべている。

「ふふ……であれば、それは逆に利用できるな……。よし、小米田くんたち全員を米部米課大会議室に集め、ブラックホール商品化阻止の緊急対策会議だ!……と、マルコンは使わずに集合しなければ元も子もないな」

すぐに100人の小米田たちが集められ、緊急会議となった。美味は、私物のプチマルコンでマロンと繋いでマロンとともに会議に参加だ。米田博士は集まった皆の前で話し出した。

「――そんな経緯で、未知の物体である危険なブラックホールの商品化を断固阻止しなければならない、と私は思う。皆はどうかね? 同意してくれる人は挙手をお願いする」

100人の小米田と美味は迷うことなく手を上げている。

「ありがとう、みんな」

皆を誇らしい顔で見つめながら米田博士が話を続けた。

「では、対策について話そう。まずは、情報収集されるための偽の情報を故意にマルコンで流す。そして、並行して、早急に米部米課以外には決して漏れずに情報を共有できるマルコンのシステム作る。これは恒久的に使用できるようにしたい」

「情報収集されていることを知らないふりをして、嘘の情報を収集させ、本当の情報を隠す、ということですよね」

海老郎の小型マルコンから合成音声が流れた。小米田たちの間からも次々と声があがる。

「その案、賛成です!」

「私たちが必死に研究した成果を勝手に盗み見るとは上層部の品位を疑います」

「我々、研究者たちの思いを無視するのであれば、こちらもそれくらいのことをして当然でしょう」

闘志に燃える100人の小米田たちに向かい、米田博士はうなずいた。

「うむ。商品化を進めているような情報を流しつつも、増えてしまったブラックホールを消滅させる研究開発を進めていかなくてはならない。まずは、ブラックホールの分析から……」

その時、美味のプチマルコンから声が流れ出した。

「ちょっと待ってワン」

マロンである。音声は続いて流れる。

「米田博士たちは増えたブラックホールを消滅させる研究を急いでしなくてもいいワン」

「マロンくん、それはなぜだい?」

米田博士と小米田たちの視線は、プチマルコンを持つ美味の方に注がれている。

「みんな、忘れているワン。ブラックホールって放置すれば勝手に減るんだワン」

マロンの発言に、小米田たちからどよめきが起こった。

「マロンくんの言う通りだ! 肝心なことを忘れていたよ! 愚痴や悪口をブラックホールの前では言わないように注意して放置すればいいだけじゃないか! 腹を空かせたブラックホールは共食いをする。そして減っていくんだ!」

マロンの助言通りである。しかし、小米田の一人が手を上げ質問をした。

「その方法は良いとは思いますが、最後に残ったひとつはどうなるんでしょうか?」

確かに、その疑問はある。

「小さくなって自然消滅するようにも思えるワン」

プチマルコンから響くマロンの声に、米田博士が補足するように発言した。

「うむ。そうとも言えるが、残ってしまう可能性も捨てきれない。緊急ではないが、最後のひとつについての対策だけは進めないといけないな」

皆、米田博士に同意し、米部米課のブラックホール商品化阻止の緊急対策会議は終了した。

* * *

米田博士たちの対策は予定通り進んだ。社長や幹部が監視しているマルコンの通常システムの方には、常に偽の情報を流している。ブラックホールの商品化を順調に進めているように装っていたのだ。しかし、途中から問題が発生してブラックホールが減少しだしてしまったという情報に切り替えた。そして、あたかも米田博士や小米田たちが社長たちには報告せずに必死に米部米課内で問題解決をし、増殖と商品化に心血を注いでいるような印象を与えたのだ。そう、まさか密かに監視していることを知られているとは気づいていない社長たちは、その偽の情報を鵜呑みにしたのである。

しかし、ある意味、この偽の情報は嘘ではなかった。ブラックホールは減っていたのである。マロンの助言通りに放置したところ、共食いを繰り返して数が減少し、今や最後のひとつだけとなっていた。そして、最後のひとつは少しずつだが日々小さくなっている。自然消滅する可能性が高くなっているのだ。

こうした状況で、しばらく経ってからのことである。美味は久々に昼休憩に米部米課の特別研究室にやってきていた。

「一時はどうなることかと思いましたが、良い方向に進んでいますね」

「そうだな、美味くん。海老郎や小米田くんたちのお陰で予定通りだ。米部米課だけで共有できる裏のマルコンシステムも確立したし、あとは最後のブラックホールの消滅を待つばかりだ」

「うん。それに、僕、社長や幹部たちのマルコンの情報を見ることができるシステムも作ったから、向こうの動きが先に読めるようになったよ」

海老郎が合成音声で話すと、米田博士は途端に制止するような声色となった。

「おいおい、海老郎! それは、やり過ぎだ。よくないぞ」

「大丈夫。ブラックホール開発のことだけしか見ないようにしているから。それで、明日の終業後に抜き打ちで社長たちが特別実験室に来ることが分かったよ」

「それはまずいな……。まだ最後のひとつのプラックホールが残っている。別の強化ガラスケースに移して隠さないといかん」

「私、手伝います!」

美味は、そう宣言すると念の為にと持参していた黒いサングラスをかけた。

翌日の終業後である。海老郎の予告通り、何の前触れもなく社長とその取り巻きがやってきた。もちろん海老沢部長もいる。美味と海老郎は特別実験室の奥の作業スペースにいて、海老郎の小型マルコンに映し出される特別研究室の様子を見ていた。

すでに、マルコンの情報収集機能から、ブラックホールが壊滅してしまったという偽の情報を得ている社長たちは、ただ、最終的にその確認をしに来ただけといった様子である。

「米田くん、その後のブラックホールはどうかね? うん?」

小柄で小太りの黒穴社長は鼻息を荒くしている。明らかに機嫌が悪い。

「それが……実は……す、すみません……それが……」

狼狽しながら残念そうな声を出す米田博士は、なかなかうまい演技をしている。

「あー、言い訳はいいから、見せたまえ」

「……はい」

米田博士は奥の特別実験室のガラスケースの前に社長たちを案内した。もちろん、そのガラスケースの中には何も入っていない。社長たちは驚くことなくそれを見ている。

「はぁ~、米田くんともあろうものが、増殖に失敗するとはなぁ。期待はずれだったよ。本当に肩透かしもいいところだ。まぁ、次の研究は頑張ってくれ」

社長はわざとらしいため息をつきながらそう言った。

「はい……申し訳ございません」

名役者の米田博士は、肩を落としている。そして、トボトボとした足取りで社長と取り巻きたちを連れて特別実験室を出て元の居室の方へと戻っていった。しかし、なぜか海老沢部長だけがガラスケースの前に残っている。鋭い目をして、しきりに鼻を動かしているのだ。そして、

「……奥から高級な海老の香りがしますね……」

と言った。海老郎の小型マルコンから、美味も海老郎もしっかりとその言葉を聞いたのだ。

「海老郎の匂いを察知したんだ!」

海老郎がブクブクと泡を吹いている。もし海老郎が海老沢部長に見つかったら……捕獲されて調理されてしまう! 海老郎の小型マルコンの画面には、「危険! 関係者以外立ち入り禁止」と書かれたプレートが出されているエリアに華麗なステップで軽々と踏み込み、実験室の奥へと進んでいく海老沢部長の映像が映っている。このままだと――まずい!

「私が絶対海老郎を守る!」

美味は、海老沢部長がやってくる方へと向かって駆け出した。

「私が海老沢部長を食い止める!」

――しかし、美味はすぐに、海老郎捕獲とは別の最悪な事態が起こることに気づいてしまった。

「海老郎よりも先にブラックホールを入れたガラスケースの方が見つかる……!」

そう、最後にひとつ残ったブラックホールは、冷蔵庫くらいの小型ガラスケースに移し替えて、海老郎がいる作業スペースの少し手前に設置していたのだ。もちろん、米部米課の部員でなければ、入ることができない立ち入り禁止エリアで安心できる場所なはずだったのだ。しかし、どこにでも勝手に入ってしまう海老沢部長は立ち入り禁止など気にするはずはない。

「あ、いる……」

サングラスをかけた美味は見てしまった。海老沢部長がすでに小型ガラスケースの前に立っている姿を。そして、海老沢部長のひとりごとが聞こえてきた。

「そうですか……米田博士はブラックホールを独り占めしようとしていたのですね……。そうはさせません。このブラックホールは私が増殖させて、商品化させますよ……」

海老沢部長は、小さな声で何かをつぶやき始めている。何を言っているのかは聞こえないが、ブラックホールが活発に動き始めているのは分かる。そして、ブラックホールが大きく口を開けた。

(まさか……海老沢部長が愚痴や悪口をブラックホールに食べさせているのでは……!)

海老沢部長の前に浮遊する小さなブラックホールは嬉しそうにクルクルと回っている。これは、確実に、海老沢部長の愚痴や悪口を食べているのに違いない。しかし……ブラックホールの様子がおかしくなってきている。嬉しそうに回っているというよりも、まるで苦しそうにのたうち始めているようなのだ。海老沢部長もその様子に気がついたようでつぶやくのを止めている。そして、ゆっくりと後退りしている。

「あ……!」

のたうち回りながら、ブラックホールは膨らみ始めている。

「……わ!」

ブラックホールの闇の黒さが広がる目の前に様子に、海老沢部長は一瞬、体を硬直させた。その後、胸ポケットから赤い薔薇が落ちたことにも気も留めず、一目散に居室の外へと走り去っていった。そして、ガラスケースの中には、もはや、「赤ちゃん」でも「ミニ」でもない、何倍にも膨れ上がったブラックホールが大きな口を開けて喘いでいた。

(つづく)

(作・浅羽容子)


<編集後記> by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟

浅羽容子作「甘辛天丼まいたけ課 第7章 新商品ブラックホール(4)」、いかがでしたでしょうか?

極秘の副産物なのに筒抜けだった理由は、社用マルコン、高級海苔の匂いも敏感に嗅ぎつける海老沢部長の鼻ではなかった! いけ好かねえが実は意外といい人? という疑惑を残していなくもなかった海老沢部長のKusoGGぶりが炸裂、果たしてどんなドロドロブラックな愚痴悪口雑言をブラックホールに食べさせたというのか、育ってしまったブラックホールはどうなるというのか、薔薇の花をボロボロ落としながら、待て、次号!

ご感想・作者への激励のメッセージをこちらからお待ちしております。次回もどうぞお楽しみに。

ホテル暴風雨にはたくさんの連載があります。小説・エッセイ・詩・映画評など。ぜひ一度ご覧ください。<連載のご案内>

スポンサーリンク

フォローする