甘辛天丼まいたけ課 第8章 舞茸か獅子唐か(5)

「廃止される課は――」

もったいぶったように、黒穴社長ロボは言葉を途切らせると、舞田課長、美味《びみ》、志藤課長の顔を順番に見つめた。居室内の異様な静けさは続いているが、美味の心はざわついて騒がしい。知らず知らずのうちに丸メガネのテンプルを何度も触ってしまう。舞田課長も汗をかきながら瞬きを繰り返して落ち着かない様子だ。しかし、志藤課長だけは微動だにせず威風堂々と立っている。

三人の顔を交互に見ながら、やっと社長ロボが口を開いた。

「――ししとう課ニ決定シタ」

ついに決定した。ししとう課が廃止となってしまったのだ。志藤課長は落ち着いた口調で、

「黒穴社長、承知いたしました」

と言うと、視線を社長ロボから離さずに、静かにカーテンを閉めた。

「デ、デハ」

その眼力に怯えたのか、社長ロボは逃げるように居室を出ていってしまった。残ったのは、舞田課長と美味である。

「やったぁ! まいたけ課は存続だっ!」

その声は大きく、カーテンの向こうの隣室にいる志藤課長にも当然聞こえるはずだ。

「この朗報を真音《まね》ちゃんにも早く知らせなきゃ!」

舞田課長は、別室の舞茸ラボに行こうと立ち上がった。これはまずい……! 鈍感な舞田課長を傷心の今の真音に会わせることはできない……!

「待って! 真音さんには、私から伝えに行くので、舞田課長はこの回覧板の海老沢部長の記事でも読んでいてください!」

美味は舞田課長を制止するように回覧板を押し付けると、素早くドアを開け居室を飛びだしていった。

別室の舞茸ラボの居室の前まできたが、中からは何の音も聞こえない。泣いている声が聞こえるとばかり思っている美味は逆に心配になった。そっとドアを開けると同時に、

「真音さん? いますか? 天堂です」

と真音を呼んでみた。舞茸畑の中央で、舞茸たちに囲まれながら、こちらに背を向けるように真音がしゃがみこんでいるのが見える。

「あのぉ……真音さん、先ほど社長ロボが来られました。廃止される課はししとう課に決定しました。まいたけ課は存続するそうです」

真音からは何も反応はない。美味は近づいていき、小さく肩を震わせている真音の横に座った。そして、その肩にそっと手を置いた。一瞬、ビクリと震えたあと、真音は顔を上げた。

「天堂さん……私、私……」

真音の瞳からは大粒の涙が流れている。美味が思わず真音の肩を強く引き寄せると、真音は堰を切ったように大きな声をあげ泣き出した。

しばらくして真音が落ち着き出した頃、舞茸ラボのドアをノックする音が聞こえてきた。まいたけ課のメンバー以外にこの居室に来ることはなく、残るメンバーは舞田課長だけである。舞田課長であればノックをしないで入ってくるはずだ。

「誰ですかね、真音さん。私が出ます」

やっと泣き止んだが、腫れぼったい目をして呆然としている真音をそのままにして、美味がドアのほうに向かった。

「どなたですか?」

「私よ」

そのひとことだけで分かる。志藤課長である。真音の方を向くと、真音は首を縦に振っている。美味はドアを開けた。

「失礼するわ」

中に入ってきたのはやはり志藤課長だ。ケーキの箱を持っている。真音がすかさず駆け寄ってきた。

「……志藤課長……」

「真音さん」

志藤課長は、それ以上は何も言わず何も問わずに、その広く豊かな胸で真音を抱きとめた。またしても真音は泣き出すが、その勢いは先ほどよりも弱い。一日に出せる涙の量は決まっているのだろうか。志藤課長の柔らかな胸の中で涙を出し切った真音とともに、三人は居室内にあるベンチに並んで腰掛けた。

「今日は色々ある日ね」

「……最悪ですぅ……」

また泣き出しそうになる真音の背中を志藤課長が優しくさすった。美味は、

「ししとう課が廃止になってしまうなんて……」

とつぶやくように言った。そう、最悪なのは真音だけではない。自分の課が廃止になるのが決定した志藤課長も最悪な日のはずだ。

「私は最悪でもないわよ。ししとう課が廃止になる可能性が高いのは分かっていたから大丈夫よ」

そう言う志藤課長の顔には確かに怒りや悲しみは一切ない。

「え?」

「え?」

志藤課長のその様子に美味だけでなく真音も驚いている。

「実はね、私、まいたけ課とししとう課のどちらとも存続させて欲しい、それが無理であればししとう課を廃止にして欲しいってお願いしていたのよ」

美味たちは息を呑んだ。

「そんな……」

「間接的ではあるけど、しそ課設立のキッカケになった『しそ天丼』の美味しさを黒穴社長に教えてしまったことに対して私に全く罪悪感がなかった、と言えば嘘になるわ。でもね、廃止にするのならししとう課を選んでもらうというのには、いくつもの別の理由があったのよ」

「それって、きの子さんが解雇になってロボットが配属される、さらに全社的なスリム化や監視の促進、が含まれているんでしょうか?」

「そうね、それも理由かもしれないわ」

志藤課長は、一度、ふぅと息を小さく吐いてから続けた。

「それだけでもないのよ……あ、忘れていたわ! そんな話よりも、まずは、これを開けてみて!」

話の途中で、志藤課長は膝に乗せていたケーキの箱を真音に差し出した。促されて真音はそれを開けてみる。

「わぁ、美味しそう!」

箱の中に並んでいるのは、今流行中でなかなか手に入らない絶品栗生シュークリームである。ふわふわとした栗色のシュークリームを目にして真音は笑顔になっている。

「美味しそうです!」

美味も真音につられて笑った。

「ねぇ、ここで一緒に食べない? 舞田くんにはあげないわ。毎日ドーナツ食べ過ぎているからね」

志藤課長は笑顔でそう言った。

* * *

それから数週間後のことである。天丼部ではある噂でもちきりだった。それは、志藤課長の退職――それだけでなく穴子課の黒穴課長も退職するというダブル退職の噂である。

「まさかシトーちゃんが辞めるとは! しかも、黒穴課長までっ!」

舞田課長の耳にもやっと噂が入ったようだ。

「そぉですよねぇ~」

「そうみたいですね」

しかし、真音も美味も反応が薄い。実は、二人とも志藤課長からそのことを直接聞いていたから知っていたのである。

ししとう課は廃止になるが、志藤課長はもちろん解雇にはならない。丸社員だからというだけではなく、会社としては手放したくない人材であるからだ。なので、天丼部ではない他の部署で同等の役職を用意されていたのだが、それを志藤課長は辞退したのだ。

「仕事は好きだからね。数年前までは定年退職までいるつもりでいたのよ」

志藤課長はそう語っていた。志藤課長はこのブラックホールで初めての女性管理職であったそうだ。もっと上の役職につく意欲もあったし、その実力もあった。しかし、いつまで経っても課長のまま。舞田課長の3倍以上の仕事量をこなし実力があっても、である。もちろん、異議を会社側に伝えたが、何の反応もないだけでなく、不平等を指摘すればするほど立場は悪くなるだけであったのだ。

「安定した会社の安定した丸社員という職業はもちろん素晴らしいし、魅力的よ。でも、自分には開拓者としての自由と責任を負う使命があるのではないか、と思うようになっていたのよね。それに、もし、自分の会社が大きくなっていったとしても、社員には決して自分のような気持ちを味わうことはさせない、それは強く思っているわ」

正当な評価をしない会社に見切りをつけると同時に新たな活路を見出した、ということなのだろう。また、志藤課長を敬愛する穴子課の黒穴課長も、同じく、会社の方針に疑問を持っていたようだ。この場合、志藤課長とは正反対の理由である。社長の娘という地位的特権により、すべてが優遇されてしまっていることに居心地の悪さを感じるとともに、実力不足からくるストレスが増幅していたそうだ。そんな状況だった黒穴課長に、志藤課長は、自分は退職してついに新しい会社を作ることになるかもしれない、ということを告げたのである。その話を聞いた黒穴課長は、「実は私……」と心に秘めていた計画を志藤課長に吐露したのだ。

「父の会社に入社させてもらって、とても勉強になったのですが、実力のないまま役職についてしまったので辛いことの方が多かったんです。志藤課長のようになりたくてもなれないのは自分がよく分かってます。それに、私は、人の上に立つよりも、コツコツと一人で没頭できる仕事をしていた方が楽しいしやりがいを感じるんです。実は、穴子の研究でアモリカの大学に留学したいという計画を立てていたんですが、なかなか実行にまで移せなくて……。でも、志藤課長の話を聞いて、決心が固まりました。私も、会社を辞めます!」

こうして、黒穴課長も芋づる式に揃って退職することになったのだった。

* * *

「シトーちゃんだけでなく、社長の娘の黒穴課長まで辞めちゃうなんて驚きだよ」

舞田課長はドーナツを口にしながら遠い目になっている。

「そぉいえばぁ、娘さんまでも退職願いを提出して、黒穴社長がすごぅく取り乱したみたいですよぉ。ししとう課を存続させるから、二人とも辞めないで欲しいとか言い出してたみたいですぅ」

もうその話も皆が知っている噂であるが、舞田課長は初耳らしい。

「本当に!? ししとう課って存続するの!?」

舞田課長の疑問に美味が返答した。

「いや、志藤課長は断ったみたいです……まぁ、今更、ですからね」

そう、もう時は遅い。来月末には、志藤課長も黒穴課長も退職する予定だ。

「なんだかもぉ、色々変化がありすぎだよ!」

変化は立て続けに起こることもある。しかし、その変化とは偶然に起きるということではない。美味は志藤課長の

「私、きの子さんに触発されたのね、きっと」

という言葉を思い出していた。新しい世界を切り開いていったきの子が志藤課長をその気にさせ、さらに、志藤課長が黒穴課長の揺らぐ決心を固めた。真音の「真似」と近いが正反対でもある「触発」の連鎖が起こったわけだ。しかし、そもそも、黒穴社長が社長ロボによってきの子に解雇通告したことが始まりだ。全ては繋がっている。そして、その結果がどう転がって変化して、自分のところに戻ってくるのかは誰も分からない。

(世の中って不思議だな、もしかして、私も何か変わってくるのかもしれない)

美味は丸メガネのテンプルを少し触った。

* * *

休みの日、美味とマロンは、落ち着かずに家にいた。マルコンの通知連絡が入るたびに、急いで駆け寄る。

「通知ヲ受ケ取リマシタ」

マルコンの合成音声に明るさがある。これは……菊代からの待望の通知である!

「無事出産したよ! 女の子だけど、鯛蔵みたいに逞しいんだ!」

その通知には画像が添えられている。生まれたての丸々と太った赤ちゃんとともにベッドに横たわる母になった笑顔の菊代が写っている。

「――良かった!」

美味は、作業部屋から虹リンゴ二個分くらいの大きさの作品を運んできた。

「菊代ちゃんにあげられるワン!」

「うん、喜んでくれるといいな……」

菊代に出産祝いで渡すライスワークである。それは、巣の中に、大きな二つの車がいて、その間にある卵が割れて小さな赤ちゃん車がたくさん生まれている作品だ。

「マロン、これを持って、早く菊代とベイビーに会いに行こう!」

「行くワン!」

昨日と同じようで違う今日。そして、明日も今日とは違うはずだ。美味は、そんなことを思いながら、慎重にライスワークを梱包し始めた。

(第8章 舞茸か獅子唐か おわり)

※次回は「最終章 さようなら、まいたけ課」です。お楽しみに!

(作・浅羽容子)


<編集後記> by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟

まいたけ課存続、でほっと一息というより、変化を受け入れる心が美味にも芽生えてきた!? だって、きの子の新しい門出、志藤課長と黒穴課長の辞職、菊代の出産、それぞれにまぶしい姿ですから。美味も精一杯心を込めて制作したライスワークを、いよいよ菊代に贈れることに。次回、ついに最終章に入ります。えっ、「さようなら、まいたけ課」? 一寸先も謎めいた未来に思いを馳せながら、待て、次号!

ご感想・作者への激励のメッセージをこちらからお待ちしております。次回もどうぞお楽しみに。

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