「え!? なんで、なんでなの!?」
美味《びみ》は混乱している。美味が真の情熱を取り戻したのであれば、ペット契約はそのままでいいのではないか? 混乱焦燥の美味とは正反対に、マロンは平常心に戻っているようだ。
「ワン。もうひとつ理由があるワン。こっちはワンについてだワン」
自分が原因ではないと分かり少し落ち着いた美味だが、まだまだ気はそぞろである。そんな美味に「大丈夫ワン」と言いながら、マロンは新たにミルクたっぷりホット泡コーヒーを淹れてくれた。そして、ひとくち、温かいコーヒーを飲んだ後に話し始めた。
「美味ちゃん、ワンは美味ちゃんのペットだと思うワン?」
「え? 違うよ、私の家族だよ」
「ありがとうワン。でも、美味ちゃんとワンを繋いでいるのは『ペット契約』だワン」
「……あ……!」
指摘されて言葉を失う美味に、マロンは寂しげな微笑みを浮かべると自分の気持ちを話し始めた。
「ワンの気持ちが変わってきたのは、合同四課の特製ディップの仕事に関わる頃だワン」
マロンは、合同四課の特製ディップの開発に携わることにより、自分で収入を得ることの喜び、人間と対等に仕事をすることの充実感を知ったという。それ以前もパズル愛好会に所属しているので、美味以外の人間たちとの関わりはあったのだが、その同好会でも立場は決して最適なものとは言い難かった。マロンのパズルの腕を羨む人の中には、マロンをあからさまに「犬」として扱う人もいた。また、仲良くしている人の中にも、マロンの意見を軽んじたり、マロンをオマケのように一番最後に扱うのが当然と思っている人もいるという。
「そのパズル愛好会の話はたまに聞いていたけど、マロンは気にしていないのかと思い込んでいた……」
気持ちが塞いできた美味にマロンが、「ワン!」と明るく吠えた。
「その件は、今は特製ディップや志藤課長との仕事で自信がついたから大丈夫ワン!」
そう言うマロンの笑顔は、嘘をついていない証拠だ。
「それに、実は、ワンは志藤課長の設立する会社に丸社員として入社しないかと誘われているワン!」
「え! 本当に!?」
「ワン!」
「やったじゃない、マロン!」
そんな良い話が聞けるとは思ってもみなかった美味は興奮して、思わず鼻を「フガ」っとマロンのように鳴らしてしまった。
「マルコン作業だけでなく、得意の料理とパズルも仕事に活かせるワン。それとは別に、合同四課から支払われる特製ディップのロイヤリティもなかなかの収入だワン!」
「うん、そうだよね」
特製ディップの売り上げは好調で、開発者のマロンに毎月かなり良い額のロイヤリティが支払われているのだ。
「だから、『ペット契約』を終了してペットでなくなっても自立できるワン!」
「自立……」
マロンの口から出た「自立」という言葉に美味は息を呑んだ。そう、「ペット契約」を終了することにより、マロンは誰の配下でもない、真の自由の立場を得られる。「ペット」と真逆にある「自立」。やっとマロンの伝えたいこと、望むことに美味は気づくことができた。
「マロン、ごめん。私、マロンのこと全然理解してあげてなかった。こんなに近くいるのに、こんなに大好きなのに……いつもいつも私は自分のことばかりで……」
この世の中はあるシステムでできている。最も重要な仕事をしているのは自分で、その配下の人々は自分よりもレベルの低い仕事をしていると思う気持ち、それが上から下へと続き大きく裾野を広げていく。それが世の中のシステム。株式会社ブラックホール――いや、世間一般のピラミッドシステムである。会社では最下層にいる美味だが、家の中では自分を頂点とする小さなピラミッドを作り出してしまっていたのかもしれない。
「分かった。マロン、ペット契約は終了しよう」
「ワン!」
ペット契約を終了した場合、色々と手続きは大変そうだ。しかし、マロンは、そうしたいのだ。美味は応援したい。いや、マロンであれば、美味の応援なくしても十分にできるはずなのだが、今まで応援してくれたマロンのために美味も応援したいのだ。
「まだ、言いたいことがあるワン」
「私もあるよ」
マロンの両耳がピンと立っている。ふわふわの尻尾が高速で振られている。
「ワンが先にいうワン。言わせてワン」
いつも控えめなマロンだが、是非とも先に言いたいらしい。鼻息でヒゲを揺らしながら、口を開いた。
「美味ちゃんのペットではなく、これからは本当の家族として、美味ちゃんと一緒に暮らしていきたいワン!」
「やだ、マロン! 私が言おうとしていたことと同じだよ!」
素早くマロンは椅子を降りると美味に駆け寄り、尻尾をブンブンと降りながら、ベロベロと美味の頬を舐めた。
「わぁ、マロン、分かった分かった! 善は急げ、ペット契約終了の手続きを進めよう」
「ワン!」
早速、美味とマロンがマルコンで調べてみるとペット契約を終了するには書類提出のほかにも、万能生物が自立できるかの各種試験もあるようだ。マロンであれば簡単に合格できるとは分かっているが、やはり心配だ。なぜなら、今までこの試験に合格して自立する資格を得た万能生物は10人ほどだそうだからだ。
「うーむ……色々と大変そうだ……そういえば、海老郎《えびろう》ってどうなんだろう?」
「海老郎くんとはその話はしていないワン」
「じゃあ、海老郎に聞いてみるね」
「ワン!」
笑顔のマロンは大きく尻尾を振った。
* * *
休み明け、美味は、いつもの通りに米部米課に昼休憩を過ごしに行った。弁当を広げながら、米田博士と海老郎にペット契約について聞いてみた。
「え? マロンくんは、まだペット契約だったの?」
米田博士は意外そうな顔をしている。
「僕は、随分前にペット契約は終了して、自立万能生物の試験を受けて、資格をもらっているよ」
すぐにマルコンの合成音声で海老郎は返事をした。
「え!? そうだったの!?」
「海老郎には、私から、試験を受けるように勧めたよ。だって、海老郎からは言いづらいだろ。一緒に暮らしていくのなら、資格を得ても得なくても同じかもしれないが、本人の心持ちが変わるだろうからね」
「私、つくづくマロンの気持ちを全然分かってなかったのですね……」
うなだれる美味を見た海老郎がハサミを3回鳴らした。
「美味ちゃん、マロンちゃんは今まではペット契約のままで良かったんだと思うよ。多分、美味ちゃんのライスワークへの気持ちや自立したいという理由以外に、マロンちゃんも気づいていない何か別のキッカケがあったんだと思う」
「別のキッカケって?」
「それは、一緒に暮らしている美味ちゃんしか分からないことだよ」
マルコンから流れる海老郎の合成音声を聞き、美味は、分かったような分からないような気分になった。でも、それでいい、分かっても分からないでもどちらでもいい、そう思った。
* * *
美味が昼休憩からまいたけ課に戻ると、まいたけ課の居室にはまだ舞田課長も真音《まね》も戻ってきていない。いるのはロボットのノコだけだ。美味はいつも席に着くとき、「戻りました」と隣の席のノコに声をかけている。もちろん、電源が入っていないので、反応はないのだが、どうもロボットであるような気がせず、舞田課長も真音もノコを無視していても、美味だけはノコに挨拶をしてしまうのだ。
「ノコさん、戻りました」
いつものように声をかけ、返事がないまま席につくと、横から「ノコ」っという音がした。
「!?」
その音を不審に思った美味が隣を向くと、まだ午後の業務開始のベルが鳴っていないのに、ノコの電源が入ったようだ。しかも、ノコは美味の方を向いている。ノコは、
「天堂サン、今マデ、アリガトウゴザイマシタ。私、退職シマス」
と喋り出した。
「え!? ノコさん、どうしたの!」
いつも無表情のノコが微かに笑ったように見えた。そして、「ノコ」っという音とともに電源が切れてしまった。
「え!」
そこに、舞田課長と真音が社員食堂から戻ってきた。驚いた顔をしている美味に、舞田課長が
「どうしたんだい? 天堂くん。鳩が豆鉄砲喰らったような顔をして」
と話しかけてきたが、美味は豆鉄砲を喰らったような顔のままだ。
「い、今、ノコさんの電源が入って退職するって言い出したんです!」
「天堂さん、何を変なこと言っているのよぉ~。まだベルが鳴ってないから、ノコさんの電源が入っていないわよ。スイッチ入っていないロボットが喋るわけないじゃないのぉ」
真音がそう言うと同時に、
「ギョームー、ギョムー」
と午後の業務開始のベルが鳴った。しかし、ノコのスイッチは一向に入らず、動く気配はない。
「あれ、ノコくん!?」
「ノコさんっ! もう仕事時間よっ!」
舞田課長や真音が話しかけても、全く動かない。
「また壊れたか!」
「あーあ、故障ばかりで、きの子さんの方がマシじゃないのぉ~」
悪態をつきながら鼻で笑っている真音とは正反対に舞田課長は動揺している。
「まずいぞっ!」
ノコに近づいた舞田課長が、その肩を揺すってみたが反応はない。
「ノコくんにはもう監視装置がついていないから、まいたけ課で壊したと思われてしまう……!」
舞田課長の全身からは汗が噴き出している。
「ロボット開発費は高額だから弁償となったら大変だ……」
そして、独り言を言いながら頭を抱えた。
――しかし、結果的にまいたけ課が壊したということにはならなかった。なぜなら、黒穴社長ロボたちを始め、会社のスリム化の一環で配属されたロボットたちが一斉に自主的に「退職」をしてしまったからであった。
(つづく)
(作・浅羽容子)
<編集後記> by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟
浅羽容子作「甘辛天丼まいたけ課 最終章 さようなら、まいたけ課(3)」、いかがでしたでしょうか?
「ペット契約」を終了して、お互い自立した本当の家族へ。よかった〜、素敵ワン!! 気が早いけど美味、マロン、おめでとう(涙)。 海老郎&米田博士もさすがだネ。と感動に浸っていたら、ノコさんの様子がちょっと……変……なんてものではない! 何を考えているのかよくわからなかったノコが最後に挨拶してくれたのは、きの子の遺伝子(?)のなせる技か、ロボットにもちゃんと心はあって、美味だけは仲間と認めていたからか。ロボットたちの反逆が始まる!? 濃厚に漂ってきた近未来ファンタジー会社「SF」小説の香りを胸いっぱいに吸い込みながら、待て、次号!
ご感想・作者への激励のメッセージをこちらからお待ちしております。次回もどうぞお楽しみに。