雨だれの音 3/3話(出典:碧巌録第四六則「鏡清雨滴声」)

しかし鏡清和尚は優しい方でしたので、怒鳴ったり殴ったりせず、「究極の悟りを得ることなど、それをズバリひと言で表現することに比べたら簡単なことだ」とヒントを出してくださいました。

そういえば、「本当に難しいのは「悟る」ことではなく、それを「維持する」ことだ」と表現した方もいらっしゃいましたっけ。

雪竇和尚はこのエピソードに対して、次のようなポエムを詠みました。

廃屋に打ちつける雨だれの音には、達人たちすらお手上げ状態。

究極の悟りを得ただけでは、何もわかっていないのとほぼ同じ。

わかっていようがわかっていまいが雨だれの音はますます激しさを増し、家も山も全てが豪雨に包み込まれてゆく。

ここまで読んでこられた皆さまは当然お気づきのことと思いますが、ここで言うところの「雨だれの音」とは、天候の一種である「雨」による降水によって屋根や地面がたてる音のことではありません。

とはいえ、「雨だれの音」とでも表現しなければさらにわけがわからなくなり、いかなる達人も手のつけようがなくなってしまいます。

百丈和尚はかつて「師匠をまるまる受け継いだのでは半分しか伝わらなかったと考えるべきなのだ。師匠を超えるぐらいでないととても後継者にはなれん。」と仰いました。
第十一則ご参照。

また、南院和尚はかつて理はどれだけ棒で叩かれたって曲がりはしない」と仰いました。
第三十八則ご参照。

どんなに素晴らしい「悟り」も、頭で理解しただけでは何も変わりません。

いわゆる「智慧」には三つの段階があるのですが、その最初の段階が「情報を見聞きしてわかったつもりになる」というものであり、つまり「頭で理解しただけ」の状態であって、そのままでは日々発生する様々な問題に対して何の役にも立ちません。

「頭で理解した」ことを現実の問題にあてはめてトライ・アンド・エラーを繰り返し、そこで学んだ事柄を整理統合して自らの血肉としたとき、はじめて「智慧」は完成するのです。

さて、それでは鏡清和尚の質問にある「雨だれの音」とは、いったい何なのでしょうか?

文字通り受け取ったのでは見聞きするもの全てに引きずり回されてしまいますが、文字を全く無視したのでは、もうわけがわかりません。

それはたとえば月を指さして「月だ!」と言ったとき、その指に注目してしまうようなものであって、月は指ではないことに気づかないといけませんね。

・・・などと私が一方的に力説すればするほど、雨しぶきで視界が悪くなっていくようですので、このお話はここまでにさせていただきましょう。

<雨だれの音 完>

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