法身のかたち 3/3話(出典:碧巌録第四七則「雲門六不収」)

雲門和尚の「六には収まらない」に対し、雪竇和尚は「一、二、三、四、五、六・・・ それは達磨大師でも数え切れない」とコメントしていますが、これは実にみごとなヒントです。

・・・まだおわかりになりませんか? 繰り返しになりますが、答えは言葉そのものの中にはないのです。言葉ヅラだけを追っても永遠に答えは出ません。

雪竇和尚の師匠にあたる法演和尚は言いました。

「本当のことを言えば、実はお釈迦様など下働きの奴隷に過ぎないのだ。庭先に生えているイブキの樹は、一、二、三、四、五・・・」

雲門和尚の「六には収まらない」の謎が解けたとき、他の謎もドミノ倒しのように解けていき、すぐにこの境地にも到れるハズです。

さて、記録では達磨大師は少林寺で慧可に仏法を伝えたあとしばらくしてから亡くなり、熊耳山に葬られたということになっていますが、かつて孝明帝の命令で西域を旅した宋雲(敦煌出身)が「パミール高原で草履の片方だけを手に持って西に向かう達磨大師を見かけた!」などと言い出しました。

その報告を受けた孝明帝が慌てて調べさせたところ、果たして熊耳山の墓の中は片方だけの草履を残して空っぽになっていたとのことです。

雪竇和尚が私を含む弟子たちに向かってこの話をされたとき、続けて次のような話もされました。

「達磨大師がいかに偉大な人で、禅は不立文字や以心伝心だ! などと言ったところで、結局仏法の真髄を伝えることなどできなかったのかも知れんのう。
で、諦めてインドに帰ってしまったという話になったというのが真相ではないのかな。(笑)
しかし、だとすれば、なぜ中国ではその後も仏法の伝承者を名乗る人が次々と現れて、今ここに至るまでつながっているのじゃろうか?
確かにインドは遠くて確認のしようもないのだが、もしもそれが理解できたなら諸君らの修行は段違いにパワーアップするハズじゃ。」

そしてさらに言われました。

「そういえば、夕べ、ウチにそれらしいお方が止まっておられたのう・・・ さて、今はどちらにいらっしゃるのかな?」

で、我らが黙ったままなのを見て、一番先頭にいた私は雪竇和尚に「めくらめ!」と言って棒で打たれましたっけ・・・

<法身のかたち 完>

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