雪竇和尚は、「高い境地にいながら、とっつきやすい」ところが趙州和尚の凄みであると指摘しました。
世間的に「高僧」という言葉からイメージされるのは「虚空を打ち砕き、チョモランマを爆砕し、天地をひっくり返す」といったような、ある意味わかりやすい超能力の発揮ではないでしょうか。
ところが趙州和尚はいつも飄々として自然体で立ち(よく見ると足元のボールは高速回転しているのですが・・・)、難しい言葉は一切使わず、態度で威圧することもないにもかかわらず相手は恐れ入ってしまうのが常でした。
彼ぐらいの高僧になると、サラリとひと言話しただけで一発で大物がハリにかかります。
まさにスベリ知らずの達人の境地です。
コメントの最後に灌渓和尚が引き合いに出されていますが、これは以下のような問答をふまえたものです。
とある僧が灌渓和尚に尋ねました。
僧:「死ぬまでに一度は灌渓(大峡谷の意)を見てみたいものだと思っていましたが、いざ見てみたら、ただの小さな池じゃないですか!」
渓:「ホウ、オマエさんの目には小池しか映らんか。よく見てみなされ、大峡谷が見えるハズじゃぞ!」
僧:「・・・貴方の仰る「大峡谷」とはいったい何のことでしょうか?」
渓:「怒涛の激流じゃ!」
また、とある僧と黄龍和尚の問答もご紹介しましょう。
僧:「死ぬまでに一度は黄龍(ゴールデンドラゴンの意)を見てみたいものだと思っていましたが、いざ見てみたら、ただの小さなヘビじゃないですか!」
龍:「ホウ、オマエさんの目には小ヘビしか映らんか。よく見てみなされ、ゴールデンドラゴンが見えるハズじゃぞ!」
僧:「・・・貴方の仰る「ゴールデンドラゴン」とはいったい何のことでしょうか?」
龍:「にょろにょろ!」
僧:「龍を主食にしているガルーダが来たらどうされますか?」
龍:「イチコロじゃな。」
僧:「では頭からパックリいかせていただきましょう!」
龍:「それはどうもお世話になります。」
おわかりでしょうか?
灌渓和尚も黄龍和尚もそれぞれに達人なのですが、ちょっと肩に力が入りすぎ、というかハッタリが強すぎるきらいがあって、なかなか趙州和尚のように自然体にはなれていません。
雪竇和尚がコメントの最後で「ご苦労なこと」と仰ったのは、まさにこのことを指しています。
灌渓和尚や黄龍和尚の発言は、おおげさですがある意味わかりやすいとも言えます。
さて、それでは趙州和尚の「馬もロバも向こうに渡せる」は、いったいどう考えたらよいのでしょうか?
答えのわかる人、解説よろしくお願いいたします。
<趙州の石橋 完>
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