自分次第 1/3話(出典:碧巌録第十五則「雲門倒一説」)

とある僧が雲門和尚に尋ねました。

僧:「目の前で起こっているハタラキではなく、目の前にあるモノでもない場合はどうしたらよいでしょうか?」
雲:「自分次第だな。」

ある時は刀でバッサリと斬り殺し、ある時は剣をスラリと揮って人を活かす。それが師匠と呼ばれる人たちに今も昔も求められる技量なのですが、雲門和尚はまさしくそれを両方お持ちのお方でした。

冒頭のような質問は、すでに自分なりの答えを持っており、相手が少しでもスキを見せたらすかさずツッコんでやろうとしている人がするタイプのものです。

つまり、この僧もなかなかの実力者だったわけで、ピカピカに磨き上げた鏡のように前にあるものを直ちに映し出す芸風の持ち主である雲門和尚でなければここまでキレイに捌くことはできなかったでしょう。

前回申し上げたことを改めて繰り返させていただきますが、ズドンと腹落ちする回答を得たいというのであれば、質問の形をとって尋ねてはいけません。問いは答えの中にあり、答えは問いの中にあるからです。

どのような聖人、例えばあのブッダさえも「私は何も教えなかった」と言いました。つまり、何かを手渡すように人に何かを教えるというのは不可能なのです。

地獄に落ちるようなことをしなければ地獄には落ちませんし、天国に行くようなことをしなければ天国にも行きません。ありとあらゆる因縁は、全て自分で作って自分で受けるものなのです。

雲門和尚はかつておっしゃいました。

「真実を言葉で語ろうとしてもダメだ。もし言葉で伝えられるというのであればブッダの死後に残された膨大な経典を読めばよいわけで、何も達磨大師がわざわざインドから遠路はるばる中国までやってくる必要などないではないか。」

―――――つづく

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