自分次第 3/3話(出典:碧巌録第十五則「雲門倒一説」)

雪竇和尚は優しい人でしたので、「分けられないものを分けてみせた」という言葉で雲門和尚の「やり口」を解説してくれましたが、この言葉にとらわれてしまってはいけません。

かつて洞山和尚は言いました。

「その人物の悟りがホンモノかニセモノかを見抜く三つのポイントがある。まず、物ごとの見方にバイアスがかかっていないか、次に単なる受け売りばかりでなく自分自身の考えがちゃんとあるかどうか、そして適切な言葉を使えているかどうかの三つだ!」

これら全てが揃った時、人は本来持っていた能力が全開となり、生きるべき時は生き、死ぬべき時は死にます。トラの穴の中に飛び込むことだってなんのそのです。

雪竇和尚が「みんなは意味がわからない」というのは、かつてブッダが霊鷲山における講演会で無言で花をつまみ上げてみせた時、そこには八万四千人もの聴衆がいたにも関わらず、迦葉尊者を除く全員が意味がわからなかったということを指しています。

その時迦葉尊者が会得した仏教の真髄はインドから中国に伝えられ、今の伝承者で三十三代目です。これが「トラの穴には三十三人」ということです。(究極の真実を知ろうとすることは、トラの穴に飛び込むほどの覚悟が必要なのですね)

そういう意味で、雲門和尚はまさしくトラであり、問答を通じて弟子にヒゲを引っ張らせてやっているというわけです。

思い上がった弟子の鼻柱を叩き折り、クヨクヨしている弟子は勇気づけて自信を取り戻させ、そびえ立つ山の頂上から降りられなくなっている弟子を草むらに降ろしてやり、草むらから出られなくなっている弟子はそびえ立つ山の頂上に連れて行ってあげ、弟子が地獄の炎に飛び込もうというのであれば一緒に飛び込んであげる、というのが正しい指導者の姿です。

雪竇和尚が「なってこった!」を二回繰り返しているのは、それを讃嘆してみせることで弟子たちが自ら気づくことを狙っているのですが、単に彼の言葉の意味を詮索するだけでは、それこそ「水面の月がゆらゆらふらふら」です。

それではいったいどうやったら「ゆらゆらふらふら」させずに済むのか、皆さま是非ご一考くださいませ。

<自分次第 完>

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