そんなことがあった後「潙山和尚が大勢の弟子を集めてブイブイいわせている」と聞いた徳山和尚は直ちに道場破りに突っ込んで行き、冒頭のエピソードにつながるわけです。
旅装束のままでヅカヅカと講義中の部屋に乱入してウロウロ歩き回り、辺りを見回しながら大きな声で「無い!無い!」と言ってそのまま出ていってしまう。
・・・ちょっと正気とは思えないですよね。
多くの人が徳山和尚の奇行に何か深い意図があるのだろうと考えますが、実は行為自体にはそれほど意味はありません。(まぁ、なかなかここまでやってのける人物はいないのですが)
潙山和尚は相手のやり方を知り尽くした大ベテランだったのでスルーできましたが、さもなければ徳山和尚の仕掛けに引っかかってやっつけられていたことでしょう。
さて、徳山和尚と潙山和尚のエピソードについては雪竇和尚が何度も「見え透いたやり方だ!」というツッコミを入れています。こういったツッコミを禅では「著語(じゃくご)」といい、要するに一言コメントなのですが、エピソードの対象(この場合は徳山和尚と潙山和尚)にツッコんだように見せながら、実はそれだけに留まっていないのが特徴です。
(読者の皆さん、雪竇和尚が何に対してツッコミを入れたのか、おわかりでしょうか?)
徳山和尚はそのまま出ていくと見せかけながら、一度は引き返して潙山和尚と正式に問答する構えを見せました。
ただ、呼びかけられた潙山和尚が払子を取ろうとしたところ、大声で一喝してそのまま出て行ってしまうという・・・
徳山和尚の傍若無人ぶりはなかなかアッパレなもので、このエピソードに関しては禅僧たちの間でも「潙山和尚がすぐに反応できなかったのは、徳山和尚の迫力に気圧されたからだよね。」などといわれていますが、私に言わせていただけるなら、これはそうではないのです。
潙山和尚はすぐに反応できなかったのではなく、相手のやり方を熟知していたので慌てなかっただけなのです。
かつて潙山和尚は、「鳥よりも知恵があって、はじめて鳥を捕まえられる。ケモノよりも知恵があって、はじめてケモノを捕まえられる。もしも人より知恵があれば、人を捕まえることができるだろう。」と言いました。
この境地に達することができていれば、この世の全て、天や地、雑草や動物たち(含、人間)が一斉に喝をくらわせてきたところでビクともしません。
座布団を引っこ抜かれて転ばされても、大勢の前で怒号を浴びせられ続けても、まるで気にせず何処吹く風です。
そんな潙山和尚だったからこそ、徳山和尚の狼藉に対抗できたというわけです。
―――――つづく
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