三斤の麻布 3/3話(出典:碧巌録第十二則「洞山麻三斤」)

この時洞山和尚が答えた「三斤の麻布」という言葉は、方々で「仏」について答えたものと受け取られています。(「仏」に関する問いに対する回答なので無理もないことですが)

「仏とはどのようなものですか?」という問いに対する師匠たちの回答は他にも「一丈六尺の竹の杖」とか「火の精霊が火を求めている」とか色々ありますが、これらの言葉の中に「真理を悟らせるためのヒント」があると思いこんでしまうと、「足の悪いスッポン」と「目の見えないカメ」のように何もない谷間からいつまでたっても出てくることができなくなります。

とある僧が智門和尚に尋ねました。

僧:「仏とは何か?的な質問に対して洞山和尚は「三斤の麻布」と答えたそうですが、これはいったいどういう意味なのでしょうか?」
智:「咲き誇る花が織りなす錦。・・・わかるかな?」

僧:「全くわかりません・・・」
智:「南の竹、北の木!!」

いよいよワケがわからなくなった僧は洞山和尚のところに引き返しました。

僧:「智門和尚に和尚の「三斤の麻布」の話をしたところ、さらにワケのわからない話をされたのですが、これはいったいどういう意味なのでしょうか?」
洞:「うむ、これはキミひとりにではなく、皆に話したほうがよさそうじゃな。」

そして弟子たちを呼び集め、演壇に登ってこう言ったそうです。

洞:「言語は真理そのものではなく、言葉だけで悟ることはできない。言語にこだわり過ぎるヤツは永遠に真理にたどりつけず、言葉にとらわれるヤツは迷う!」

雪竇和尚は余計なことを考えなくて済むようにワザワザ「咲き誇る花が織りなす錦」と「南の竹と北の木」をひとつなぎにしてポエムを詠んだというのに、今どきの人たちはやっぱり余計なことを考えてしまって「喪に服する時の服は麻製で、杖は竹製だ。だからこれは葬式の話なのであって、「花が織りなす錦」というのは花が棺桶に敷きつめられた状態のことを言っているのに違いない!」などと言いだす始末・・・

雪竇和尚は、既にポエムのオチがついているというのに、さらに親切心から陸亘(りくこう)さんと長慶和尚のエピソードを引っ張り出しました。

陸亘(りくこう)さんは政府の役人でしたが、例の猫殺し(注:子猫を問答のネタに使った挙句に切り殺したとされる事件。「無門関」第14則ご参照)で有名な南泉和尚に深く心酔し、出家こそしませんでしたが彼を師と仰いで非番の時にはいつも寺に出入りして親交を深めていました。

南泉和尚が亡くなった時、陸亘さんは葬式中の寺にやってくると、祭壇の前で大爆笑し始めました。

寺の事務長が、これを咎めて怒鳴りつけます。
「コラ! お前は和尚の弟子だっただろう? 大恩ある師匠の葬式で笑うとは何事だ!! なぜ泣かないのだ? 泣け! 泣きなさい!!」

陸亘さんは答えました。
「オレが何で笑っているのかわかるかい? わかるなら言え! 言ってみせろ!! そうしたら泣いてやるよ。」

寺の事務長が返答に窮している様を見て、陸亘さんは泣きながら言ったそうです。
「ああ! ああ! 和尚は本当に死んでしまったのですね!!・・・(号泣)」

この話を聞いた友人の長慶和尚は言いました。
「おいおいオッサン、そこは泣くところじゃなくて笑うところだろう? コラ、泣くな! 笑え!!」

「三斤の麻布」のエピソードを文字通りにしか理解できないというのは確かに笑える話であって泣くところではないのですが、雪竇和尚がポエムの最後で出した大声はどう考えたらよいのでしょうか?

「三斤の麻布」という極めて簡潔な言葉について長々と解説しすぎた自分に対する喝でしょうか?

それとも?・・・(笑)

<三斤の麻布 完>

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