蓮の花と葉 2/2話(出典:碧巌録第二十一則「智門蓮華荷葉」)

昔の師匠たちの一問一答は真剣勝負、かつあくまでもその場・その時かぎりのものです。
後になって別の場所で言葉ヅラについてアレコレと検討したところで何の役にも立ちはしません。

雲門和尚は言いました。

「昔も今も、真実はただひとつだ。是非もなければ損得もない。生まれ出る前も後もヘッタクレもないのだ!」

「蓮の花がまだ泥の中にある時はどうか?」という問に対してシンプルに「蓮の花」と答えた智門和尚の心意気はなかなかのものだというのに、素人ならともかく少しは心得があるハズの修行者たちまでが「いや、泥の中にある時点ではまだ蓮の花じゃないでしょ! 泥の中から出て咲いたものを蓮の花と呼ぶのだから。」などと見当外れのことを言う始末・・・

智門和尚はまた別の機会に以下のような問答をしています。

僧:「般若(はんにゃ=深い洞察を伴う智慧)の実体とはどのようなものでしょうか?」
智:「月を飲み込んだカラス貝のようなものだね。」

僧:「それでは般若のハタラキはどのようなものでしょうか?」
智:「子を孕んだウサギのようなものだね。」

彼の芸風が世間の人たちにはなかなか理解されないのは、あるいは少々シュール度高めだからかも知れませんね・・・

私ですか?
そうですね、もし私が「蓮の花がまだ泥の中にある時はどうか?」と聞かれたならば、「外に立っている柱みたいなものだね」とでも答えましょうか。(笑)

「泥から出た後」についても聞かれたならば、「杖の先に太陽と月をぶら下げてはいるが、足元のぬかるみは深い」とでも答えてやります。

雪竇和尚は、このエピソードに対して次のようなポエムを詠みました。

蓮の花と蓮の葉、泥の中と外ではどう違う?
いろんな師匠に尋ねても、疑問は大きくなるばかり。

賢明な読者の皆さんなら既におわかりかと思いますが、泥の中から「出る」「出ない」というのは何のことか、というところがポイントなのです。

そこのところがわからないまま大勢の高名な師匠を訪ね歩いても、疑問は大きくなりこそすれ解消する時はこない、と私は思うのですけどね。

<蓮の花と葉 完>

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