居士の三教老人による前書き(1304年)2/2(出典:碧巌録「三教老人序」)

そんなことじゃから、問答も口先だけの言葉まみれ。
事例も丸暗記するだけで、自分の人生に応用しようともしない。

寿命の水の流れが尽き、臨終を報せる鐘の音が響いてからジタバタしたところで、もうどうしようもない。

過去の成功事例はどれだけ素晴らしくとも過去のものじゃ。

舟で川下り中に剣を落としてしまった人が落とした場所を忘れないように舟べりに印をつけたり、たまたまウサギがぶつかっただけの切り株をいつまでも見張っていたりするようなもので、そんなものに縛られているようでは未来はないぞ!

カモシカは角を枝にかけることで足跡を消すという。
変に文字として残さないほうが、後世の人のためになるという考え方もあるじゃろう。

そう考えれば、圜悟和尚も大慧和尚も、どちらも正しいということになるのじゃ。

圜悟和尚は弟子たちの助けになればということで雪竇和尚のポエムの解説を実施し、それが碧巌録のコンテンツとなった。

大慧和尚は弟子たちの修行の妨げとなっているものを排除しようということで、碧巌録を焼き捨てた。

お釈迦様の説法をテキスト化した大蔵経は五千巻にもなるが、当のお釈迦様は臨終の際に「私は生涯をかけて一文字たりとも説法などしていない。」と言ったそうじゃ。

圜悟和尚の心は、お釈迦様がお経を説いた心。
大慧和尚の心は、お釈迦様が説法を否定した心。

車を前に進めるためには、後ろから押すこともあれば前から引くこともあるじゃろう。
伝説の聖人である禹も稷も顔回も、立場が変われば皆同じことをしたハズじゃ。

さて、大慧和尚が碧巌録を焼き払って二百年近くたった今、編集者の張さんがこれを復刊することになり、かつて大慧和尚の弟について学んだ私が前書きを書くことになった。

考えの浅い弟子たちが月を指す指を月そのものだと思い込むようなことを大慧和尚は懸念したのじゃが、再びそのようなことが起こったならば、圜悟和尚だって必死に止めようとするじゃろう。

「絵に描いたトラは呼んでも応えない」という。

これまでワシが言ったことを踏まえた上で、それでもこの書物を読もうというのであれば、まずはこの言葉の意味をよく考えてみてもらいたい。

大徳甲辰(1304年)四月十五日
聊城県の如如居士顔丙こと 三教老人 これを記す。

<居士の三教老人による前書き(1304年)(出典:碧巌録「三教老人序」) 完>


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