趙州和尚の大根 (出典:碧巌録第三十則「趙州大蘿蔔」)

とある僧が趙州和尚に尋ねました。

僧:「貴方は南泉和尚に直接お会いしたことがあるとお聞きしましたが、それは本当のことでしょうか?」
趙:「ここら辺では大きな大根がとれるぞ!」

長年の修行で腕を磨いてきたベテランらしい質問ですが、趙州和尚に強烈なボケをかまされて為す術もなしといったところでしょうか。

趙州和尚のやりくちは、ほとんど「ひったくり」といってよいでしょう。なにしろ口を開こうとした瞬間に目玉を入れ替えられてしまうというのですから。

この話を聞いた法遠和尚は「いや、これはスベってるでしょ。」とコメントしたそうですが、それでは趙州和尚が少々かわいそうです。

ある人は「趙州の辺りが大きな大根の特産地だというのは有名な話だ。趙州和尚が南泉和尚のところに出入りしていたことも誰もが皆知っていること。この僧が単なる常識について尋ねたので、趙州和尚も単なる常識で返したというところじゃないかな。」とコメントしましたが、これは単なる大間違いです。

それではいったいどう考えたらよいのでしょうか?

そういえば九峰和尚が似たような問答をしていましたっけ。

僧:「貴方は延寿和尚に直接お会いしたことがあるとお聞きしましたが、それは本当のことでしょうか?」
九:「あの辺の特産の麦はそろそろ実ったかな?」

この手の話は事情のわかった人であれば噛み砕いて味わうことができますが、そうでなければ丸呑みするしかないヤツです。

雪竇和尚はこのエピソードについて次のようなポエムを詠みました。

大きな大根の名産地、それは坊主の目指すもの。
変わらぬものと知ってはいても、鳥の白黒はつけられない。
ああ、なんという大泥棒。
いきなり坊主どもの鼻をねじ上げるとは!

まさか貴方は、趙州和尚の「ここら辺では大きな大根がとれる」という言葉そのものが素晴らしいと考えているのではないでしょうね?

それでは親に手を引かれてわけも分からず山に登らされている幼児のようなもので、もののわかった人の失笑をかってしまいます。

ただ、そういう人があまりにも多いので、雪竇和尚は「(今も昔も)変わらぬものがあると知っているだけでは鳥の白黒はつけられない」と言ったのです。(雪竇和尚は別の機会に「石を打ちつけて飛んだ火花で、鳥の白黒を見分けられるようでなければならない」とコメントしています)

今回のエピソードに関するコメントとしてのポエムはここまでの二行で終わりなのですが、雪竇和尚はさらに自分の考えを示すべく「大泥棒」のくだりを追加しました。

仏さまなどというものは基本的に「大泥棒」ですし、歴代の師匠たちも皆、揃いも揃って「大泥棒」なのです。

真っ昼間に人の目玉を気づかれずに入れ替える、などという荒業をやってのけられる人だけが、趙州和尚の気持ちを理解できるのです。

さて、ここで読者の皆さんに質問です。

冒頭の問答の中で、趙州和尚はどんな大泥棒をやってのけたのでしょうか?

・・・ここら辺では大きな大根がとれますよ。(笑)

<趙州和尚の大根 完>


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