ある僧が雲門和尚に尋ねました。
僧:「一切の汚れなき真実の本体とは、いったいどのようなものでしょうか?」
雲:「柵で囲まれた芍薬の花みたいなもんだな。」
僧:「だとしたらどうなのですか?」
雲:「金色のライオンだよ。」
まだ修行中であっても悟りの効能を楽しめる人は、山を得たトラのようなもの。
世俗的な考え方しかできない人は、檻の中のサルのようなもの。
真実の正体を知りたいというのであれば、きっかけやタイミングはとても重要です。
よく精錬された金をさらに鍛えようというのであれば、その道の達人に頼むに限ります。
冒頭の問答が丁度そんな感じではないかと思うのですが、読者の皆さんはこの二人がいったい何を言っているのかおわかりになりますでしょうか?
・・・実はこの二人は何も言っていないのですが、まさか皆さんはそれがわからないようなウスノロではありませんよね?(笑)
またある時、僧が玄沙和尚に尋ねました。
僧:「一切の汚れなき真実の本体とは、いったいどのようなものでしょうか?」
玄:「ドロドロの膿だらけだ!」
この問答の意味がわかるなら、貴方はダイヤモンドの眼を持っていると言えましょう。
ある時はそそり立つ絶壁のようにとりつくしまもなく、またある時は親身になって真実への道を開いてくれる。それが雲門和尚の芸風であって、その言葉は非常に用意周到なものばかりです。(あらゆる質問に即答するので、実はでまかせに答えているのではないかと誤解されがちではありますが・・・)
この手の話は全て自分の中の話ですので、外に向かって尋ね歩いても答えを見つけることはできません。
百丈和尚は言いました。
「森羅万象や一切の言語は、めぐりめぐって結局自分のところに帰ってくる。それを自由自在に操ってさらにグルグル回すのだ! 一瞬でも躊躇して考え込んでしまえば、真実は遠ざかってしまう。」
永嘉和尚は言いました。
「真実の本体を見抜いたならば、もうそれ以上何もない。自分の本性は仏となんら変わりないというだけのことだ。」
雲門和尚に質問した僧は長年修行を積んだベテランでしたので、雲門和尚が一見トボけたような返事をした時にすかさずツッコミを入れることができました。
「だとしたらどうなのか?」「金色のライオンだ」・・・
果たして雲門和尚はこの僧の実力を認めているのかいないのか、どちらだと思われますでしょうか?
巌頭和尚は言いました。
「ワシは問答をふっかけられたら、常に議論をひっくり返せる立場を取り続けるようにしておる。生きた言葉で納得させれば永遠に身につくが、死んだ言葉では世界中の人はおろか、自分ひとりですら救うことはできないからな。」
―――――つづく
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