雲門和尚の塵塵三昧(出典:碧巌録第五十則「雲門塵塵三昧」)

とある僧が雲門和尚に尋ねました。

僧:「華厳経には「目に見えないような微細な塵(ちり)一粒一粒の中に宇宙がある。これを「塵塵(じんじん)三昧」という」とありますが、これはいったいどういうことでしょうか?」
雲:「飯碗の中に米、桶の中に水が入っているということだよ。」

「ああ、そういうことね。」とピンとくるのであれば雲門和尚の鼻先につないだ綱は貴方の手の中にありますが、ピンとこないというのであれば、貴方の鼻先につないだ綱が雲門和尚の手の中にあるということになります。

ある人が「飯碗の中の米は一粒一粒みなよく研がれて丸く、桶の中の水は一滴一滴がみなよく潤っている、ということじゃない?」と言っていましたが、まるでわかっていないと言わざるを得ません。

せっかく雲門和尚が核心のところをズバリと教えてくれたというのに・・・

このエピソードに関して雪竇和尚は次のようなポエムを詠みました。

飯碗の中に米、桶の中に水。
おしゃべり坊主も黙り込み、北斗も南斗も動かない。
天までとどく白波が平地に巻き起こる。
心を動かそうとしても動かせず、止めようとしても止まらない。
オマエらみんな、億万長者の家に生まれながら落ちぶれて身ぐるみ剥がれたドラ息子のようなもんだな。

「飯碗の中に米、桶の中に水」

もしも貴方がここで何か哲学的なことを考え始めたというのであれば、「おしゃべり坊主」のように黙り込むしかなくなってしまいます。

北斗星が北から動かず、南斗星が南天にはりついているのはまぁよいとして、「平地に波」とはいったいどういうことなのでしょうか?

考えなければわからないし、考え続けても答えが出ない。

詩人の寒山は詠みました。

天が与える六つの苦しみが人々を苦しめているというのに、
人々は社会規範を九つも作って虚しい議論を続けている。
私は才能がありながら辺境に追いやられ、
ボロ屋にひきこもるばかり。
日が昇っても明るくならず、モヤが消えてもよく見えない。
中には億万長者の息子たちがいるのだが、どいつもこいつも下半身丸出しのだらしない姿だ・・・

ところで皆さん、まさか皆さんはノーパンで辺りをうろつくようなことにはなっていないでしょうね?(笑)

<雲門和尚の塵塵三昧 完>


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