雲門和尚の杖 2/3話(出典:碧巌録第六十則「雲門拄杖子」)

雲門和尚の得意技はたくさんありますが、杖を使った説法もそのひとつでした。

実際に彼が杖を掲げると禅の偉大なるハタラキが現れて、人々を悩みや苦しみから救ったといいます。

芭蕉和尚は言いました。
「禅坊主の真骨頂ってヤツは、まさにこの杖の先にあるのだ!!」

永嘉和尚も言いました。
「この杖は禅僧のコスチュームのひとつとして形式的に持っているだけの棒ではない。これこそがまさに如来の宝杖なのであって、これを使うことで如来の奇跡を追体験できる素晴らしいアイテムなのだ!!」

はるかな昔、燃燈仏という名の如来が出現していた時代のこと、燃燈仏が町に来ているという話を聞いた少年が見に行ってみると、仏の通り道に水たまりがあるのが目に入りました。

少年は飛び出していくと泥水の中に横たわり、束ねていた長い髪をほどいて水たまりを覆って言いました。
「どうぞ遠慮なく踏んでお通りくださいませ!!」

それを見た燃燈仏は少年の殊勝な態度に感心し、「この場所に寺を建てなければならんな。」と言いました。

それを聞いた少年は近くに落ちていた草を泥水の中に突き立てて、「ハイ! この通りお寺を建立いたしました!!」と言ったとか。

で、それを聞いた燃燈仏は少年に対して「オマエは未来の世において仏となるであろう」と予言したという話。

ここで皆さんに質問です。
いったい何でそういうことになるのでしょうか?

とある禅師は言いました。
「棒で殴られて悟りを得る! 怒鳴りつけられたら受け止める!」

・・・さて、いったい何を受け止めるというのでしょうか?

まぁ今どきの修行者であれば「杖とはいったいどのようなものか?」と尋ねられたとしても、宙返りをするか手を打ってみせるかぐらいが関の山でしょうけれども、元気の無駄遣いという他はありませんね。

このエピソードに関し、雪竇和尚は次のようなポエムを詠みました。

杖が天地を呑み込んでしまった!
雪解け水が押し寄せた、などと言うんじゃないぞ!
登竜門を登り切ると龍になれるけど、別に雲に乗りたいわけじゃない。
登竜門を登りきれなかった連中だって、まだまだやる気は残っているのだ。

私は雪竇和尚がこのポエムを弟子たちの前で発表するところをリアルタイムで聴いていたのですが、師匠はここまで詠んだところで弟子たちに向かって言いました。

「・・・というわけだが、わかったか!?
まずは胸中のわだかまりを全部捨ててサッパリすることだ!
もうそれ以上ジタバタすることは許さん!
本当は棒で百五十回殴るところだが、今回は七十二回で許してやろう!!」

そういうと雪竇和尚は杖をつかんで演台から飛び降りてきました。

その剣幕に恐れをなした弟子たちは皆、クモの子を散らすように逃げ去っていったのです・・・

―――――つづく


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