ひとつの宝 3/3話(出典:碧巌録第六十二則「雲門中有一宝」)

雲門和尚は言いました。
「オマエたち、もしもワシの言っていることの意味がわからないなら、なんとしてでもまず悟りへの入口を探せ! たとえオマエたちの足の下に無数の仏たちがいて、舌先には仏教典の文言が全て乗っかっているのだとしても、自力で悟るのが一番なのだ!!
とにかく余計なことを考えるんじゃないぞ! 天は天だし、地は地! 山は山だし、川は川! 僧は僧だし、俗人は俗人だ!」

弟子たちが黙ったままなのを見て、雲門和尚はさらに言いました。
「わからんのならワシの前にある低い山を持ってきてみろ!」

弟子の一人がツッコミます。
「私には山は山に、川は川にしか見えません! で、それからどうしたらよいのでしょうか?」

雲門和尚は言いました。
「だから門はここにあると言っているのだ! まだわからんのか!?」

そして手刀を切るしぐさをして言いました。
「わかったなら極上の美味だが、わからんのなら猛毒だ!!」

皆さまは、おわかりでしょうか?

これこそ「徹底的に悟り尽くした時に悟ることなど何もない。奥の奥のさらに奥深い真理なんて吹っ飛ばしてしまえ!!」というヤツなのです。

雪竇和尚はこのエピソードに関して次のようにコメントしました。
乾坤之内、宇宙之間、中有一宝・・・
達磨大師はこの言葉を壁にかけたまま、九年間あえて直視しようとなさらなかった。
それをオマエたちが見ようとするのであれば、ワシは背中を棒で叩かねばならん!!」

ほらね、もののわかった立派な師匠は決してつまらぬお約束で人を縛ろうとはしないものです。

玄沙和尚はこの辺りの勘どころについて「丸め込もうとしても受けつけず、呼びとめても振り向かないヤツは見込みがある」と表現しました(が、ちょっとカッコつけすぎかも知れません)。

雪竇和尚は今回のエピソードについて次のようなポエムを詠みました。

ほら見てごらん!
鄙びた岸辺で釣り糸を垂れているのはいったい誰だい?
雲はフワフワ、流れは滔々。
自分の眼で見ろ! 真っ白な花を明月がしらじらと照らしているのを。

「見ろ!」と言われて慌てて目をみはってもダメですよ。(笑)

ほら、「霊光が照らすとき真実はむき出しになるが、それは言葉にできるようなものではない。心は生まれつき完全で、汚れなど付きようがない。つまらぬ妄想を捨ててしまえば、もう仏そのもの」と言うではありませんか。

ただ目を大きく開けて座り込んでいるだけでは、とてもではありませんがこの相対世界から抜け出すことはできないのです。

雪竇和尚は「見ろ!」と言いました。

鄙びた岸辺で釣り糸を垂れているのは雲門和尚でしょうか?

雲がフワフワと浮かび、川の水はゆったりと流れ、白い花を白い月光が燦然と照らしている・・・

果たしてそれはいったいどんな境地なのでしょうか?

おわかりの方、ひとりずつ私に耳打ちしてみてくださいませ。

<ひとつの宝 完>


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