傅大士の金剛経講義 2/2話(出典:碧巌録第六十七則「梁武帝請講経」)

せめて傅大士がすまし顔で演壇から降りてきた時に思いっきりドツキ倒してしまうべきだったのですが、それができなかったので宝誌和尚に「わかったか?」などと聞かれてしまって「わからん」などと答えさせられ、「講義が終わった」などと言われるハメになってもうグダグダなことに・・・

宝誌和尚は大概素っ頓狂なお方でしたが、ここでもその芸風を遺憾なく発揮して死んだヘビを生き返らせています。

「金剛とはダイヤモンドのことであって何をぶつけても壊すことはできず、逆にぶつけることで万物を破壊できる」というのが世間一般に流布している金剛経の効能の説明です。

今回、傅大士は皆が気づいていない一段上のポイントを完璧なやり方で提示して見せたのですが、宝誌和尚に「講義が終わった」とネタバラシをされてしまいました。

これはまるで究極の美酒に水をさされた、あるいは鍋いっぱいのご馳走にネズミの糞が一粒入ってしまったようなものです。

雪竇和尚は例によってこのエピソードに関して次のようなポエムを詠みました。

自前の沙羅双樹の下で涅槃に入っておればよいものを、
わざわざ梁までやってきてホコリを巻き上げるとは!
宝誌のジジイさえいなければ、
ダルマと同じく真っすぐ国を出ただろうにね。

傅大士は達磨大師と同じように武帝の前に立ちました。

達磨大師は武帝とほとんど会話が成立しなかったので長江を渡って国を出ていってしまったのですが、雪竇和尚はそれを踏まえて「宝誌和尚がいなければ、彼もまた同じように国を出ただろう」と言ったのです。

時の権力者の前で講義をするというのは実はとても危険なことで、下手をすればその場で処刑されてしまう恐れがあります。

だからこそ皇帝に話が通じないとみた達磨大師は全力で離脱したわけなのですが、傅大士は達磨大師のような伝道のミッションがないにも関わらず、のほほんと呼び出しに応じてやってきて、わざわざ皇帝をコケにするようなことをするという・・・

しかしまぁ何といいますか、傅大士は実に親切な人だったのですね。

彼ほどの境地であれば、上に仏をおかず、下に衆生をおかず、ひたすら空の高みだけ見ておればよいものを、無いものを有ると言い、有るものを無いと言い、是を非と言い、荒っぽいのを丁寧だと言い、魚屋にも酒屋にも出入りして、頭から灰をかぶって顔を泥まみれにしながらアホウどもの相手をしてくださいました。(こういう人がいなければ、五十六億七千万年後に弥勒菩薩が降臨するまでアホはアホのままです)

今回、スベったギャグを宝誌和尚が拾ってくれなければ傅大士は国外追放を免れないところでしたが、ここで読者の貴方に質問です。

傅大士は今、いったいどこにいるのでしょうか?

もう宝誌和尚は拾ってくれませんので、どうぞ慎重にお答えくだいませ。(笑)

<傅大士の金剛経講義 完>


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