貴方がもし、この二人の芸風の裏にあるものを見抜くことができたなら、主人も客も合わせて一人、つまり千人だろうが万人だろうが結局はたった一人だということがわかるでしょう。
達人同士のやり合いにおいては、主人であろうと客であろうと終始主導権を手放さないのです。
烏臼和尚が「定州和尚のところはどんな感じ?」と尋ねた際、僧は「ここと違わない」と言いました。
これが烏臼和尚でなかったら話はここで終わるところですが、そこはやり手の烏臼和尚、「違わないなら元いたところに帰れ!」と言って僧を棒で叩きました。
ところが打った相手も烏臼和尚に負けず劣らずの実力者だったので「棒だって善し悪しを理解できる。やたらと人を叩くな!」と返し、和尚は「今日のヤツは打ちごたえがある」と言ってさらに三度叩き、叩かれた僧はそのまま出ていこうとしました。
なんとも見事なやり取りですが、なんとこの公案はまだ終わりません。
烏臼和尚はこの僧の実力の程を知ろうとして問いかけたり棒で叩いたりしたのですが、僧が巧みに攻撃をかわしたためにハッキリと見て取ることができませんでした。
そこで「何も悪くないのに泣き寝入りするヤツがいる」などと声をかけたのです。
ここはブチ切れて殴りかかってもよい場面ですが、僧は敢えて「臼を挽くための棒は和尚の手の内にある」と言うだけにとどめました。
ここで烏臼和尚は一気に勝負に出るべく「欲しいなら棒を渡す」と言いました。
これはもう、猛獣の口の中に入って横になるようなものです。
それを聞いた僧は和尚の挑戦を受けて立ち、棒をひったくって三度叩き返しました。
最初は「何も悪くないのに泣き寝入りするヤツがいる」と言っていたのに、今度は叩かれながら「何も悪くないのに! 何も悪くないのに!!」などと言い、僧に「泣き寝入りするヤツがいる」と言われたら叩かれているのは自分なのに「やたらと人を叩くのではなかった」などと言う・・・
ここでこの僧が和尚を礼拝したのは流石というべきところです。
この礼拝は実に悪意の込められたものなのですが烏臼和尚はちゃんと理解して「なるほど、そうくるか!」と言い、笑いながら出ていく僧を見送りながら、「たいしたもんだ!」と言いました。
達人同士のやり合いは実にこのようなものであって、ボケとツッコミを自在に入れかえながらいつまでも続けることができるのです。
(彼ら自身にとってはボケとツッコミの区別などないのですが)
二言三言の会話に過ぎませんが両者のハタラキは実にイキイキしたもので、やることなすことの全てに筋が通っています。
今回のエピソードについて雪竇和尚は次のようなポエムを詠みました。
―――――つづく
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