烏臼和尚の棒 3/3話(出典:碧巌録第七十五則「烏臼問法道」)

今回のエピソードについて雪竇和尚は次のようなポエムを詠みました。

呼び寄せるのは簡単、追い払うのは困難。
自在に入れ替わるテクをよく見るがいい。
劫石がどれだけ大きくて固いといっても、いつかはなくなる時がくる。
陽も届かない深い海の底だって、干上がる時がくる。
烏臼のオッサン、烏臼のオッサン!
あなたはいったいどれだけの手数をお持ちなのか?
棒を渡しちゃうなんて、なんて大胆なことを・・・

雪竇和尚は常々「ヘビを呼び寄せるのは簡単だが、追い払うのが難しい」と言っていました。

実際、イスノキにできる虫コブ(瓢)を吹き鳴らせばヘビを呼び寄せて操ることができますが、いざお引き取りいただこうと思ってもなかなか上手く追い払えないものです。

やり手の僧に棒を渡すのは簡単でも、それを奪い返して追い払うのはとても難しいのです。

その点、烏臼和尚はヘビを呼ぶことも追い払うこともできましたし、相手の僧もまた同じ能力を持っていました。

「定州和尚のところはどんな感じ?」と尋ねる、これがつまり相手を呼び寄せたところです。
そして棒で叩いたのが追い払うところ。

打たれた僧は「やたらと人を叩くな!」と言いましたが、これは烏臼和尚を呼び寄せたのであり、和尚から棒を奪って叩き返したところが追い払ったところです。

最後に、大笑いして出ていく僧に向かって烏臼和尚は「なかなかどうして、たいしたもんだ!」と言いましたが、これでキッパリと僧を追い払ったのです。

この主客の入れ替わりの激しさはなかなか凄まじく、雪竇和尚もポエムで表現しきれなかったので、「(自分の眼で)よく見ろ」と言ったのです。

劫石というのは幅と高さが八十万キロメートル、奥行きが百六十キロメートルもある巨石のことです。

五百年に一度、空から降りてきた天女が○・五グラムほどの羽衣で軽く撫で、最終的に石が擦り減りきってなくなるまでの時間を「一劫(軽衣払石劫)」といいます。

まさに想像を絶するような膨大な時間といえますが、巨石が羽衣で擦られて摩滅することはあっても、烏臼和尚と僧のやり合いは尽きることはないのです。

また、見渡す限りの大海原であっても、この二人を海底に立たせたならばたちまち干上がることでしょう。

雪竇和尚はポエムの後半で「烏臼のオッサン! あなたはどれだけの手数をお持ちなのか? 棒を渡してしまうとは、なんと大胆な」と詠みました。

この棒は現在過去未来の仏さまが使うものであり、歴代の師匠たちもこれを使って人々を束縛から解き放ちました。

そんな大切な棒を他人に渡すことなどとても考えられないことですし、雪竇和尚もこの棒は一人で使うべきものだと言っています。

この時は幸いにして僧の方が烏臼和尚に合わせてくれましたが、もしこの僧が烏臼和尚のハタラキを完全に奪ってしまうような暴挙に出たら、いったいどうするつもりだったのでしょうか?

全くもって、大胆なことをするものですよね・・・

<烏臼和尚の棒 完>


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