大龍和尚の不滅の真実 1/2話(出典:碧巌録第八十二則「大龍堅固法身」)

釣り竿の先の糸の動きで、かかったものの価値を見抜く。
それはその道の達人ならではのワザ。

とある僧が大龍和尚に尋ねました。

僧:「この世の全てはいずれ滅びる運命にありますが、それでは「不滅の真実」とはいったいどんなものなのでしょうか?」
大龍:「山に咲く花はまるで敷き詰めた錦のよう。谷あいの湖は青々と水をたたえているなぁ。」

例によってシュールな問答となりましたが、ここで起きていることを言葉ヅラで理解しようというのは、天にかかった月を棒で叩き落とそうとするようなものです。

これまでに何回も申し上げましたが、ズドンと腹落ちする回答を得たいというのであれば、質問の形をとって尋ねてはいけません。

問いは答えの中にあり、答えは問いの中にあるからです。

この僧はここまで雑なものを担いでやってきて、改めていい加減なものに担ぎ替えました。

このような質問はかえって応対が難しく、よほどのやり手でなければ返答に窮してしまうところですが、そこはベテランの大龍和尚、慌てず騒がずピタリと決めて見せました。

ウサギを見て鷹を放ち、穴を見てクサビを打ち込むようなものですね。

この話を聞いて「いや、大龍和尚は口からでまかせに答えただけじゃないの?」などと言う人は、仏教を滅ぼそうとしていると人だと私は思います。

昔の師匠たちは一言一句たりとも粗末にすることはなく、発する言葉は金の鉱石、あるいはダイヤの原石といってよいものです。

その天地を包み込むようなハタラキを、充分に味わわなければもったいないとは思いませんか?

今回のエピソードは三十九話に出てきた話に似ていますが、意味合いはかなり異なります。

僧の問がポンコツであったにも関わらず、大龍和尚の答えはピタリと決まっています。

二十九話で「木が枯れて枝も葉も幹も落ちてしまった後はどうか?」という問いに対して、雲門和尚は「まるごと秋風に吹かれるばかりだ」と答えました。

これには相手が放った矢にこちらから放った矢を当てるような「打てば響く」感がありますが、今回の問答はそれとはちょっと違い、それぞれ別の方角に向かうような感じがあります。

大龍和尚は、僧が持ち出した質問の前提条件(「この世の滅びるもの」と「不滅の真実」を対立するものとして扱っている)に乗っかりませんでした。

それによって回答の密度は雲門和尚の倍ぐらいに高まっているのですが、同時に分かりにくさも増してしまったというわけです。

今回のエピソードについて、雪竇和尚は次のようなポエムを詠みました。

―――――つづく


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