ある時、雲門和尚は弟子たちに向かって言いました。
「人は皆、誰でもまばゆいばかりの光を持っているのだ。
ただ、その光を直接見ようとしても見ることができずに真っ暗だ。
さて、誰もが持っている光とはいったい何のことかわかるかな?」
弟子たちが答えられないのを見て、雲門和尚は自分で答えました。
「御堂、山門!」
またさらに言いました。
「『よいこと』など、ない方がよいのだ!」
このエピソードをもう少し詳しくすると次のようになります。
雲門和尚はいつも、弟子たちに向かって次のように説教していたそうです。
「オマエたちは皆、足の裏からまばゆいばかりの光を放っているのだ。
その光は遠い昔から今まで絶えることなく輝き続けてきたもので、
その凄まじさはまことに筆舌に尽くしがたい。
……だというのに、なんだオマエたちのそのザマは!?
ここまで言ってもまだわからないとは、なんたるアンポンタンであることか!!」
これを二十年間言い続けたのですが、遂にその意図を理解できる者は現れませんでした。
そのあまりの難解さに、弟子のひとりだった香林(きょうりん)和尚がヒントを要求し、対する雲門和尚の言葉が「御堂、山門」、さらには「『よいこと』などない方がよい」だったというわけです。
通常、長年誰も答えられない問いに対して師匠がヒントを出す時は一言だけなのですが、今回は何故ふた言なのでしょうか?
ヒントをわずかに耳にしただけで、サッと席を立って出て行ってしまう。
それが自立した修行者のやり方です。
雲門和尚は弟子たちがヒントの言葉にひっかかることを懸念して、「『よいこと』などない方がよい」と言って打ち払ったのです。
今どきの人たちは上のような話を聞くと「お堂はどこ? 山門はどこ?」などと言って目をキョロつかせたりしがちですが、これは勿論そんな話ではありません。
昔からよく、「手元の目盛りなんか見てないで、釣針にかかった獲物をちゃんと見ろ!」と言うではありませんか。
今回雲門和尚が問題にしているものは、視覚の問題でも環境の問題でもないのです。
世間一般の常識や損得勘定から離れて、借り物ではない自分自身の頭でしっかりと考えなければなりません。
―――――つづく
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