般若の本体 2/2話(出典:碧巌録第九十則「智門般若体」)

今回のエピソードに対して、雪竇和尚は次のようなポエムを詠みました。

きらりと光る透明な結晶は、言葉で表現できるものではない。
神や人間は、これにスブーティ(須菩提:解空第一の仏弟子)を見る。
「カラス貝が月を呑み込む」という言葉に秘められた真実をもって、
智門和尚は禅坊主どもとのバトルに突入したのだなぁ。

雪竇和尚は智門和尚の真意をくみ取って、みごとに最初の一句を詠んでみせました。

「きらりと光る透明な結晶」はいつだって静かに輝き続けているのです。

それは宇宙に行かなければ見つからないものではありませんし、誰か他の人からもらうようなものでもありません。

過去から一度も途切れることなく輝き続けているのですが、なかなか説明するのは難しい。
だから「言葉で表現できるものではない」と言うのです。

法眼和尚は自作のポエム集「円成実性頌(えんじょうじつしょうのじゅ)」の中で、次のように詠みました。

究極の真理の前では言葉も常識も役立たず。
冴えわたる冬の夜空にかかる月が目の前の谷に光を落とす。
熟した果実とそれを狙うサルの重みで枝がしなり、山が深すぎて道に迷ったようだ。
途方に暮れて天を仰ぐとまだ夕焼けがかすかに残っているのが見え、
ふと気づいたら自宅のすぐ西側に立ち尽くしていたんだ。

また、こうも詠まれます。

心は根っこ、あれこれ考えるのはホコリ。
どちらも鏡についた汚れのようなもの。
鏡をよく磨けば輝きが戻り、心もホコリも忘れたところが本性、つまり究極の真実だ!

さらにこうも詠まれます。

三間のあばら家にずっと昔から住んでいるんだが、
屋根の隙間から神々しい光が一筋さし込んで、辺り一面ひっそり閑。
自分のことを是か非かで理解しようとしてもムダなこと。
それは世間一般の常識で計り知れるようなものではないのだから。

これらは皆、「きらりと光る透明な結晶は、言葉で表現できるものではない」ことを詠っています。

かつてスブーティが洞窟で座禅をしていた時、神々がわらわらと集まってきて花を降らせたり讃歌を歌ったりしたのだそうです。

スブーティ:「……いったい何者ですか? こんなことをするのは」
神:「梵天でございます」

スブーティ:「私の何が素晴らしいと思って讃えるのですか?」
神:「貴方が般若について見事に説くのが素晴らしいと思って讃えているのです」

スブーティ:「……私は般若について説いた覚えはありません。さっきからずっと黙って座っていただけですよ」
神:「貴方は説きませんでしたし、我々も聞いていません。説かない、聞かない、これこそ真の般若ではないですか!」

そしてさらに大地を揺るがして花を降らせたのだとか。

おわかりでしょうか?

スブーティは見事に般若を説いてみせましたが、本体だとかハタラキだとかについては説いていません。

ここのところを見抜くことができたなら、智門和尚がカラス貝やウサギの話をしたことの真意がわかるでしょう。

世間の禅坊主どもは般若についてあれやこれやと議論していますが、そんな彼らは真実の姿を夢にも見たことがないのです。

貴方も智門和尚や雪竇和尚が眺めていた世界を見たいですか?

それなら、ただボンヤリ見ているだけではダメですよ!(笑)

<般若の本体 完>


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