馮子振による後書き(1317年) 1/2話(出典:碧巌録「跋 馮子振」)

儒教の祖である我らが孔子は、長らく「天の道(何も言わずとも常時行われる世界)」に遊んでおられた。

彼の門下には御者のムチの影を見ただけで駆けだす駿馬のような優秀な弟子が大勢いたが、一番弟子の顔回ですら本気を出した孔子にはついていくことができず、遠ざかる後姿を眺めながら後塵を拝するのみであったという。

その点、子貢は孔子との問答を通じて様々な言葉を引き出すことで師匠の考えを言語化したという点において、儒門への貢献度は絶大だ。

かつてインドの山奥でお釈迦さまが大衆の前で花をつまんで見せた時に長老格のマハーカッサパ(仏弟子の大迦葉)だけが微笑んだというが、これはかつて孔子が弟子たちの前で「私の道はただひとつのことで貫かれている」と言った時に曾子だけが「はい」と答えたのと全く同じである。

どちらも傍からは、「本当にわかったのか? わかったならいったい何がわかったのか?」がサッパリわからないからである。

その場で曾子が「先生がおっしゃる『ひとつのこと』とは、忠(真心にそむかぬこと)と恕(真心からの思いやり)のことです」と解説してくれていなければ、他の弟子たちは千年以上にわたって迷ったままだっただろう。

圜悟和尚は夾山(かっさん)の方丈で弟子たちの求めに応じて雪竇和尚の「ポエム百選」の解説を実施したが、彼の跡を継いだ大慧和尚は、弟子たちが歴代の師匠たちが全人格をかけた言動の真意に向き合わずに言葉遊びに走っているのを見て、師匠の舌(とも呼ぶべき解説本)をバッサリ切り取って焼き捨ててしまった。

大慧和尚にしてみれば、そんなものは大空に投げ上げられた一本の羽毛や広大な谷間に落とされた一滴の水のようなもので、かつて金剛経の解説者として知られた徳山和尚がリヤカーに積んで歩いていた自作の解説書の束と同じく、点心を売る屋台の婆さんのツッコミにすら耐えられないだろうと考えたのである。

しかし、どれほどの猛火が野原を焼き尽くそうとも春風が吹けばまた芽が出てくるように、陽があたれば青い岸壁(=碧巌)にも花が錦のごとくに咲き始める。

そう、長い長い年月を経て、冷え切ったと思われていた灰が再び燃え始めたのである。

編集者の張煒さんの手によって数えきれないほどのややこしい言葉が本来見えないハズの樹(=無影樹)の上に飾りつけられ、圜悟和尚による過去のお節介な仕事の全貌が露呈した。

そして、かの仏弟子スブーティ(須菩提:誰よりも空の境地を熟知していたという)が洞窟で瞑想していた時のように花びらを振りかけられる事態となったわけだ。

百七、八十年の空白を経て、禅坊主どもはいきなり鼻面を縄で繋がれ、全身の毛穴から未だかつて嗅いだこともないような香りが噴出するという体験をすることとなった。

こんな超常現象には、めったに出会えるものではない。

―――――つづく


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