杖を握ってぐるぐる回る 1/3話(出典:碧巌録第三十一則「麻谷振錫遶床」)

かつて、麻谷山(まよくさん)出身の僧(以下、麻谷)が章敬和尚のところにやってきた時のこと、彼は章敬和尚の部屋に入ってくると、ものも言わずに和尚の前に置かれた座布団のまわりをぐるぐると三回まわり、手にした錫丈をシャン! と打ち振ってすっくと身を起こしたのだそうな。

それを見た章敬和尚は、「いいねぇ! いいねぇ!」と言ったとか。

雪竇和尚は、この話に対してこうコメントしました。

「はい、大間違い!」

その後、麻谷氏は南泉和尚のところへ行き、全く同じことをやってみせたのだそうな

それを見た南泉和尚は、「ダメだ! ダメだ!」と言ったとか。

雪竇和尚は、この話に対してこうコメントしました。

「はい、大間違い!」

麻谷氏はムッとして南泉和尚に詰め寄りました。

「章敬和尚には、「いい」と言われたぞ! アンタなんでまた「ダメ」とか言うんだ!?」

南泉和尚は言いました。

「章敬和尚は「いい」んだ。オマエは「ダメ」だ! オマエのやっていることは風に吹かれた風車と変わらない。とてもじゃないが、長くは持たないね。」

さて、ここで読者のアナタに質問です。

同じことをやったのに、なぜ、かたや「いい」と言われ、かたや「ダメ」と言われたのでしょうか?
また、そのどちらに対しても雪竇和尚が「大間違い」とコメントしたのはなぜでしょう?

「これはあれだね。雪竇和尚は麻谷氏の立場でコメントしたんだと思うな。章敬和尚と南泉和尚のどちらに対しても。」

などと考えがちですが、それもまた「大間違い」。

私の同僚の慶蔵主(けいぞうす)はこう言っていましたっけ。

「ああ、錫丈を握りしめてぐるぐる回る話? そりゃあ、「いい」も「ダメ」も「大間違い」さ。だってポイントはそんなところには無いんだもの。」

そもそもここで麻谷氏がやってみせたことは、かつて永嘉玄覚(ようかげんかく)が慧能和尚(中国における仏教六代目伝承者)の前でやってみせたことのパクリなのです。

因みに、その時の六代目のコメントは次のようなものだったとか。

「あのなぁ、オッサン。仏教の修行ってのはな、おおまかに言っても三千種類、細かく言えば八万種類ものルールを守らなければならないのじゃ。オマエはいったい、何をどう勘違いしてそういうスットコドッコイをやるのじゃ?」

―――――つづく


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