さて、そんな雲門和尚の元には後に「四哲」と呼ばれることになる4人の優秀な弟子たちがいましたが、そのうちの一人である香林(きょうりん)和尚は若い頃、雲門和尚の付き人を18年もつとめていました。
雲門和尚は彼のファーストネームである澄遠を略して「おい遠くん!」と呼ぶのが常でしたが、香林和尚が「ははっ、なんでございましょう?」と返事をすると毎回決まって「こりゃいったいどういうことだ?」と返すのでした。
そんなわけのわからないことを18年も続けた挙句、遂に香林和尚は「いったいどういうこと」なのかを理解したわけなのですが、それを見た雲門和尚は、「OK!もう、この先オマエを呼ぶことはないよ。」と言ったとか。
冒頭で引用した質問は、そんな彼が発したものなのです。
「十五日以前」で既にわけがわからないというのに、「十五日以後」でさらにわけがわからなくなるという・・・(苦笑)
賢明な読者の皆さんならあるいはお気づきかと思いますが、これは言葉で理解しようとしてもダメなのです。
変に理屈をこねようとしたが最後、細くて深い井戸にすっぽりと落ち込んだように全く身動きが取れなくなってしまいます。
「それじゃあ、どうしたらよいのか?」ですって?
よく言うでしょう?「殺されるくらいなら死んだほうがマシだ!」って。(笑)
雪竇和尚はこの雲門和尚の「十五日」のやりとりを題材にして次のようなポエムを作りました。
一を捨てたら七つとせ。
四方に敵なく水上歩き、鳥の飛ぶ跡ハッキリ見える。
草ボウボウで、煙モクモク。空の悟りに天女が乱舞。
虚空神は指を鳴らして呆れ顔。
おっと、動くなよ!動いたら三十叩きの刑ですぞ!!
ここで「なるほど!「一を捨てる」というのが「十五日以前」のことですね!?」などと早合点してはいけません。
先程、「言葉で理解しようとしてもダメ」だと申し上げたばかりではないですか。
言語発生以前、というと何だか大げさですが、要は「この人、なんでわざわざこんなことを言うのだろう?」という部分に着目しさえすれば自ずと答えは出るってもんです。
―――――つづく
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