鉄の牛 7/7話(出典:碧巌録第三十八則「風穴鉄牛機」)

風穴和尚はもともと雪峰和尚のところで修行していました。
そして五年ぐらい経った時点で雪峰和尚に質問をぶつけてみたのです。

穴:「ある時、臨済和尚が講義をするためにお堂に入った途端、東西両堂のリーダーが全く同時に一喝をくだしたとのこと。で、居合わせた別の坊さんが臨済和尚に「今の喝に主客はありますかね?」と尋ねたところ、「うむ、ハッキリとあるとも!」と答えたとか。正直なところ全くわけがわからないのですが、こりゃまたいったいどういう意味なんでしょうね?」

峰:「若い頃、同僚の巌頭、欽山とともに臨済和尚に会いに行こうとしたことがあるのだが、既に亡くなられたとのことで果たせなかった。臨済和尚のエピソードに関する疑問があるのだったら、その弟子筋を探して尋ねてみるべきではないかな。」

で、臨済和尚の弟子であった廓侍者のところへ行ってしばらく過ごすことになったとか。

臨済和尚はかつて「主客」のパターンを四種に分類して説明していました。

例えば質問者が意地悪な質問をわざとぶつけた時、回答者が完全に乗せられてしまってアレコレと実のないことをしゃべらされてしまったとしょうか。
これは回答者の底の浅さを質問者に完全に見透かされてしまっているわけなので、「客が主人を見透かす」パターンです。

逆に回答者が質問者の表層的な質問を片っ端から切り捨てて本質的なところに導こうとしてくれているのに、質問者はいつまでも気づかずに同じ質問を繰り返すばかりだったとします。
この場合は「主人が客を見透かす」パターンですね。

表層的な質問をバッサリやられた時に質問者側が気づいて「ほう、なかなかやりますな」と言ったとします。ここで回答者も調子に乗らずに「わかったふりをするな、バカモノ!」と叱り、質問者は静かに頭を下げる。
これこそが「どちらも主人」のパターンです。

逆に質問者が手かせ足かせをつけた上に体中に鎖を巻きつけて現れたとしましょう。
で、回答者が黙って頷きながら質問者にさらに首かせを追加すると質問者はもう大喜び。
これは「主人不在」のパターンです。

かつて臨済和尚はこう言いました。

「ワシの教えの真髄のハンコは凄いぞ!ポンと押して持ち上げればクッキリと印影が現れる。そこに主客があるか、などと疑問を持つ余地もないものだ!
文殊菩薩の弁舌は最強だといわれておるが、ワシのところでは口先だけでなく応用力も重視する。水の流れすらも切断してのけるぞ!
また、それは例えば人形劇のようなものなのだが、人形ばかりに目を奪われず、それを操っている人に気づかねばな!」

で、この芸風を完全に受け継いだのが風穴和尚というわけで・・・

盧陂長老は修行者の年長格で、口先だけの「ええカッコシイ」とは違う実力を持っていたハズなのですが、先のエピソードのように一言も言い返せずに風穴和尚にボコボコにされてしましいました。

ここで読者のみなさんに対して「あなたならどうしますか?」とお尋ねしたいところですが、あなたがどれほどの実力者であり、かつ装備を固めた大軍を率いて怒涛のように攻め入ったとしても、「鉄の牛」の力を持つ彼の一喝のもとに総崩れとなり逆流していくほかないように思いますのでやめておくことにします。(笑)

<鉄の牛 完>

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