かつて徳山和尚は次のように述べられました。
「天地を全てひっくるめたものが、即ち「自分」なのだ。
だから自分が寒い時は世界中が寒く、自分が暑い時は世界中が暑い。
同様に「有る」時は「有る」し、「無い」時は「無い」。
自分ひとりが「是」なら世界のどこにも「是」でないところはなく、「非」なら世界のどこにも「非」でないところなどない、と断言できるのだ!」
また法眼和尚いわく、
「自分、自分、自分! 他人、他人、他人!
四方八方OK、OK! NG、NG!
全てを可能とするのは「オレ様」ただ一人なのだ!」
・・・なるほど、これがいわゆる「天上天下、唯我独尊」ってヤツですね。
ちなみに石頭和尚は、先ほど引用した肇法師の論文の「自分が作り出した物事が世界を構成しており、世界とは自分のことに他ならない」という部分を読んだ時にガビーンと悟りを得たとのこと。
後に石頭和尚は禅の悟りのエッセンスを述べた「参同契」という小論文を書きましたが、その主張するところも結局この域を出ていません。
冒頭で陸亘さんが話題にしている「天地の構成成分はオレのそれと変わらない」というヤツですが、「変わらない」といったところで実際問題として天は果てしなく高いし、地はどこまで掘っても終わりのない分厚さです。
なんでまた、どのあたりがまた、同じだと言うのでしょうか?
これは単に天の高さや地の厚みを知らないだけのアホと同じなのではないでしょうか?
あるいは陸亘さんは何か気の利いたことを言おうとしたのかも知れませんが、このレベルで「気が利いている」認定してしまうというのであれば、蓮華の華をつまんでニッコリなどというパントマイムまでしてみせたブッダの面目は丸つぶれですし、わざわざ遠路はるばるインドからやってきた達磨大師の苦労も台無しです。
その点、南泉和尚が庭先の花を指さして「近頃の連中ときたら、これが夢だと思っているのだから困ったもんだね。」と言ったのは流石です。
これはいわば人を断崖絶壁の上に引っ張っていって後ろから一押しするようなものです。(これを平地でやったのでは、56億7千万年後の弥勒仏出現まで待ったところで何も起きやしません)
夢の中で夢から覚めようとしている人を外から呼び起こすのにも似ていますね。
―――――つづく
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