例によっていちいちワケのわからん坊主どもなのですが、風もないのに大波を起こそうという馬祖和尚のシュールさ加減にはいつもながら困ったものです。(比較の問題かも知れませんが、ヤング百丈和尚の反応の方がまだ素直です)
読者の皆さんも師匠を選ぶときはよく考えて選びましょうね。
馬祖和尚みたいなのについてしまったが最後、世界はおろか自分一人でさえも救うことができなくなってしまいますよ!(笑)
ところで百丈和尚ですが、彼は幼い頃に出家して早々に修行者が身につけるべき三学(戎・定・慧)をマスターしておきながら、馬祖和尚のところで二十年も侍者を務めていたのです。
で、このカモの一件でようやく本当の悟りを開いたというわけなのですが、人によっては「そりゃ突き詰めれば究極の「悟り」なんて実在しないわけで、それを悟ることこそ「悟り」なんだよね。このカモのエピソードはそのことを示しているんじゃないかな。」などと憶測を逞しくするかもしれません。
しかし、もしも「悟り」というものがその程度のものなのだとしたならば、仏法が今に至るまで脈々と伝わるわけがないとは思いませんか?
昔の人も言っているではありませんか。「水源が浅い川の流れは短い。智慧の足らない連中の考えることなどタカが知れている」、って。
馬祖和尚だってカモぐらい知っていたでしょうに、なぜヤング百丈和尚にわざわざ質問したのかというところがポイントだろうということは、賢明なる読者の皆さんも既にお気づきのことと思います。
百丈和尚は根がマジメなので何のヒネリもなく対応することを続けていたのですが、師匠に鼻頭を捻り上げられるに至ってようやく悟ったというお話。
この話を聞いて「つまり、師匠から質問されたら叫び声をあげればいいということだよね」などというカンチガイをする連中もいるのですから困ったものです。
そんなことで「飛び去れる」わけがないじゃないですか。
―――――つづく
☆ ☆ ☆ ☆
※超訳文庫が電子書籍化されました。第1弾は『超訳文庫アングリマーラ Kindle版』(定価250円)です。どうぞよろしくお願いいたします。〈アングリマーラ第1話へ〉