外道の質問 4/5話 (出典:碧巌録第六十五則「外道問佛有無」)

私の師匠の雪竇和尚は言いました。

「ブッダも折角うまくやってのけたのに、「鞭の影」なんて解説しちゃっては台無しだよなぁ・・・」

真如和尚は言いました。

「アーナンダが質問してくれたおかげで皆はブッダの回答を聞くことができたわけなのだが、この二人の問答が、逆に外道のレベルの高さを浮き彫りにしてしまったな・・・」

雪竇和尚はこのエピソードを受けて次のようなポエムを詠みました。

車のギアは回らない。回しても進めるのは前か後ろだけ。
ああ、美醜と同じく迷いの雲を鏡で晴らすことができたらよいのに・・・
鞭の気配を常にうかがっているのが「良い馬」。
鞭の気配を察知して行き、呼べばただちに戻ってくるのが「本当に良い馬」。
もしちゃんと戻ってこられたら、指を三度鳴らしてグッジョブと讃えよう!

ここで言う「車のギアが回る」はもちろん思慮分別や機転の発揮のことを車輪や歯車に喩えているのだと思いますが、「回らない」とか言っちゃって・・・
思慮分別の深さや機転の素早さこそが聖人の条件ではなかったのでしょうか?

雪竇和尚は言いました。

「聖人たちの機転というのは実に突拍子もなくて掴みどころがない。
龍の子が一切もたつくことなく、するりと産まれてくるようなもんだな。
秦王と藺相如は互いに「和氏の璧」という宝玉を争ったというが、あの趙州和尚はさらにこの二人から宝玉を強奪してのけたんだぞ!」

敢えて思慮分別や機転を発揮させないことを学んで外道は真実をつかみ取ったような話になっていますが、「言葉で言い表せることはお尋ねしません。また、言葉で言い表せないこともお尋ねしません」などというオシャレな質問をすること自体が既に全力で機転を発揮しているように感じられるのは私だけでしょうか?(苦笑)

―――――つづく

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