外道の質問 5/5話 (出典:碧巌録第六十五則「外道問佛有無」)

ブッダは根が器用な人なので、風があれば帆を使い、病気とみれば薬を使います。

故に、今回は全力を振りしぼって「ただ黙って座っている」という荒業をやってのけ、それを見た外道は直ちに丸ごと理解し、ギアをフル回転させながらも「有」にも「無」にも向かわず、何も得もせず失いもせず、「凡」も「聖」もなく、傍目にはアイドリング状態でありながらも内面における究極の二項対立を粉砕撃破したというわけです。

今どきの人がみな、「有」でなければ「無」に決っていると思い込んでしまっているのとは大違いですよね。

雪竇和尚は「美醜は鏡を見ればたちどころに判明する」と言いました。

磨きあげられた鏡は森羅万象をそのまま映し出しますが、鏡の前に座ってじっくりのぞき込む人の姿がブッダに質問した外道の姿にダブって見えるのは私だけでしょうか?

外道はそこで「素晴らしい! これこそ私の求めていたものです。おかげでようやく悟りを開くことができました!!」と感嘆の声をあげました。

彼は黙って座っているだけのブッダの姿に、いったい何を見たのでしょうか?

読者の皆さんがもし「彼と同じものが見たい」と思うのであれば、とにかくひたすらに「自ら調べ、自ら考える」姿勢を貫くことをオススメします。
授業とか仕事の時だけでなく、ご飯を食べている時や遊んでいる時、寝ている時でさえもその姿勢を貫き、一瞬たりとも現実から目をそらしてはいけません。
借り物の知識や理論ばかりでは、自然に呼吸をすることすらままならないのですから。

賢明なる読者の皆さんならあるいはもうお気づきかも知れませんが、この世界そのものがブッダが示した悟りの門なのです。
しかもその門は開け放たれたままなので、手や道具など使うことなくいつでも通ってゆけます。

ブッダはかつて究極の悟りを開いた時に「これは人に説明できるものではない」と判断し、その悟りの内容を誰にも告げずにこの世を去ろうとしたそうです。

雪竇和尚は「鞭の気配を察知して行き、呼べばただちに戻ってくるのが「本当に良い馬」」、またもしちゃんと戻ってこられたら、指を三度鳴らしてグッジョブと讃えよう!」と言いましたが、「「鞭の影」なんて解説しちゃっては台無し」とか言っておきながら「ちゃんと戻ってこられたら指を鳴らす」というのはどうなんでしょうかね?

正直なところ、ここで「指を鳴らす」はいらないんじゃないかと思えてならないのですが、これもまた私が今どきの人同様に「有」でなければ「無」に決っていると思い込んでしまっているからなのかも知れませんね。(苦笑)

<外道の質問 完>

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