塔のデザイン 2/6話 (出典:碧巌録第十八則「粛宗請塔様」)

粛宗皇帝は唐の第六代皇帝であった玄宗皇帝の子です。
若い頃からの仏教ファンで、特に禅にハマって座禅を趣味にしていました。

唐の都はもともと長安にあったのですが、安禄山の乱によって都が反乱軍に占拠されてしまったために、玄宗は妻の楊貴妃ら家族とともに蜀に避難しました。
その後、そのまま洛陽を都とし、粛宗が摂政となったのですが、そこで近所に四十年以上も山をおりたことがない高僧がいるという噂を耳にした粛宗は、早速使者を遣わして都に招きました。そしてその招かれた高僧こそが忠国師なのです。

息子の代宗が皇帝になるにあたっては、寺を新築して忠国師を住職になってもらい、それから亡くなるまでの十六年間にわたって説法をしてもらったとのことです。

忠国師は、皇帝の招きを受けた際、自分の学友である青ザ(金偏に坐)山和尚も呼ぶように皇帝に依頼したのですが、青ザ山和尚は皇帝の招待を三度受けて三度断りました。

で、和尚は忠国師のことを「あのヤロウ! 名誉やカネにつられてホイホイと街中に出て行きやがって!!」と批判したそうな。