普通はこの六識だけで生活していけますが、仏教ではさらに末那識(まなしき)と阿頼耶識(あらやしき)を加えて八識とし、それによって智慧の究極のかたちである四智(大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智)が成立すると考えます。
(まぁ、なにやら難しげな名前は後からつけただけなのでどうでもよいですが)
「根・塵・識」の三つに分ける考え方もあります。
「塵」とはつまり六識が生み出す膨大な妄想の数々のことですが、いうまでもなく塵自体に「オレは塵だ!」と認識する作用はありません。
五感(=根)の刺激を受けた「識(意識)」こそが、それを分別しているのです。
この、分別を司り、通常我々が「意識」だと思っているものを、五感に次ぐものという意味で「六識」と呼びます。
そして「七識」が末那識、「八識」が阿頼耶識なのですが、この阿頼耶識こそが智慧の源であり、一切の善悪もここから生じます。
末那識は最下層の阿頼耶識と表層意識である六識の間を取り持って、六識からの情報を阿頼耶識に伝え、阿頼耶識からの応答を六識にフィードバックしています。
実はこの末那識の働きこそが人間の意識を四六時中わずらわせている「煩悩」の正体なのです。
―――――つづく
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