「人のためになることをしよう!」などと一切考えずに多大な恩恵を人々にもたらし、自らはどれだけヒドイ環境におかれてもニッコリ笑って受け入れる。
なんと素晴らしく理想的な達人、いや聖人でしょうか!
しかし、そんな境地に達した人ほど、「本当に全てを成し遂げた時には、成し遂げるということすらなくなってしまう。「完璧」? そんなものイヌのエサにもなりゃしないぜ!」と考えています。
また、「あらゆる物ごとに通じたりなどするから、かえって虚を突かれることになるのだ!」、とも。
「本物の聖人は平々凡々とすることに徹して余計なことは言わないものだ。「巨大な龍は透明な湖に隠れられない」というではないか。もし人の命が無限なら、個人の名に何の意味があろうか!」と言った人もいましたっけ。
どの言葉もナルホドですが、まずはその境地に達してから言うのでなければ説得力がないのは否めませんね。
華厳経には、「最高レベルに達した菩薩は、一見「役立たず」とも思える状態になる。しかし、一切の損得に動かされなくなった彼にとって、ホコリ一粒の中に大法輪を回すことなど朝飯前なのだ!」と書かれています。
茶を出されれば飲み、飯を出されれば食べる。決まった思考・行動様式が「ある」のでも「ない」のでもない状態のことですね。
南泉和尚は言いました。
「ワシは十八歳になって、やっと生計がたてられるようになったよ。」
それを聞いた趙州和尚は言いました。
「私は十八歳になって、やっと破産してホームレスになることができましたけどね。」
曹山和尚と僧侶の問答です。
曹:「「集中力が極限に達した菩薩には、ゾウが河を渡る音がハッキリと聞こえる」とは、どのお経に書いてあったかのう?」
僧:「涅槃経ですね。」
曹:「集中力が極限に達する直前に聞こえるのかね?それとも直後に聞こえるのかね?」
僧:「・・・和尚、流されてますよ。」
曹:「そこはオマエ、ちゃんと浅瀬で受け止めてくれんと!w」
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